マリラ世代のあたなにお薦め!
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モンゴメリによって『赤毛のアン』の物語が誕生したのは1908年、今年でちょうど100年目を迎える。
物語の舞台は、美しい自然に囲まれたカナダのプリンスエドワード島。赤毛でそばかすの女の子アンがマシューとマリラ兄妹に孤児院から手違いで引き取られることに始まり、さまざまなハプニングをとおして少女から大人の女性に成長していく物語だ。
日本で初めてアンの物語を翻訳した村岡花子氏の『赤毛のアン誕生100年BOX 10巻セット』も発売され、アンは今も読者を魅了してやまない。私もアンに魅了された一人だ。村岡訳のアンのシリーズを30数年前、中学生だった頃、夢中になって読んだ。物語誕生100年という記念の年に再びアンに会いたくなった。そして、本書(西田佳子訳)を紐解いてみた。
西田訳は、2000年11月にカナダのTundra Booksより出版された"Anne of Green Gables"を原書とし、1908年にボストンとロンドンの出版社より発行された初版原稿をそのまま用いたテキストに、著者モンゴメリの孫にあたるケイト・マクドナルド・バトラーによるエッセイとカナダ在住のローラ・フェルナンデスとリック・ジェイコプソン夫妻による美しいカラーのイラストが添えられている。
主人公のアンをはじめ、寡黙で誠実なマシュー、完璧に家事をこなしぶっきらぼうだけど愛情深いマリラ、真面目でやさしいアンの親友ダイアナ、優秀だけどやんちゃなギルバート・・・なつかしい登場人物に次々と再会することができ、そして、プリンスエドワード島の美しい風景、アンの家のキッチンや部屋・・・少女の頃の記憶がまざまざと蘇ってくるようだった。
かつての記憶を辿っているようであり、何かが違うと感じ始め、ふと気づいたことがある。かつての私は、勝気で、おてんば、正直者でおっちょこちょい、そして、何よりも想像力豊かなアンの気持ちにそって物語を読み進めていたが、今の私はマリラの気持ちに深く共感しながら物語を読んでいる。
記憶の中のマリラはもっと気難しく、アンに手厳しかったような気がするが、西田訳を読み、マリラのことが愛おしく感じられた。そして、時おり、想像の翼を大きくはばたかせるアンにマリラと同様の疲れを感じることもあった。
今の私はアンよりマリラに親近感を感じているのだ。少女から大人の女性へと成長していくアンの姿がかつては輝かしく思えたが、今は、アンと出会って、本当の自分の気持ちに気づき、建前ではなく本音を大切にするようになっていくマリラの姿に人間の成熟のすばらしさを感じている。
村岡訳の他では、松本侑子訳、掛川恭子訳が読者の人気を得ているが、モンゴメリの孫のケイト・マクドナルド・バトラーが「あとがきにかえて」に「『赤毛のアン』の魅力、その秘密を解き明かすための最後のヒントは、物語の終盤にある。文学史上屈指の愛の告白ともいうべき、マリラのセリフだ。」と書いているように、西田訳の特徴は、マリラの言葉を原文に忠実に訳したことにあるのではないだろうか。
持ち前の豊かな想像力で、どんなときも明るく前向きで、常に人を信じ愛する心を失わないアンの魅力はどの訳を読んでも変わらない。しかし、マリラ世代のあなたへは西田佳子訳がお薦め。
『赤毛のアン』の物語を、少女期の自分と壮年期の自分、過去と現在の記憶を重ねつつ、アンの成長とマリラの成熟を重層的に味わうことができるカラー完訳愛蔵版である。