個人の自立と、考え続けることの大切さを問う
★★★★★
山本直樹のマンガ「レッド」を読んで連合赤軍に関心を抱き、岩木のモデルである植垣氏が著した本書を手にした。
存分に自然に触れ、農作業に勤しんだ小学生時代。
そして部活動をしながら独学で、自然への興味から理系教科全般を、エリートの価値観や偏差値教育への反感から近代史や海外文学を、図書館の蔵書を次々と読破して、大学教養レベルまでも学んだ中高時代は実に輝いていた。
しかしながらその輝きは、大学入学後、赤軍派への参加と共に失われる。
フランスやロシアの革命に魅せられた氏は、日本でも革命が必須との考えから、赤軍派とその理論に傾倒し、そこで思考を停止する。
ここが本書が「兵士たちの連合赤軍」というタイトルになっている所以でもある。
駒のように状況もわからぬまま、万引き・銀行強盗・爆弾作りと犯罪行為に酷使される。
気が付いたときには同士が殺害されており、やがて恋した相手も殺害され、自らもアイスピックを手に同士殺害に加担し、山越えの果てに逮捕されるところで本書は終わる。
流されることの恐ろしさは、これほどまでなのだ。
一生懸命さが図らずも形作る真のドラマ
★★★★★
連合赤軍の兵士で、同志殺しの修羅場を生き延びた「バロン」こと植垣康博の回想記。幼少期から弘前大学入学、民青加盟、全共闘参加、赤軍派への加盟、M作戦、そして山岳ベース事件、と話は進み、最後、軽井沢駅で逮捕されるところまでが描かれる。最近はほとんど見かけない上下2段組の小さな文字で約400ページという分量だが、エネルギーいっぱいの著者の活躍が軽快に描かれ、退屈しない。
ただ、実際にあった出来事をかなり忠実に書いているので、新左翼運動とか赤軍系の人脈についてある程度の知識がないと筋が終えなくなるかもしれない。文体の軽快さに比べて、読み手には高い知識を要求する本になっている。
血を吐くような坂口弘の『あさま山荘1972』と対照的に、本書からはあまり自責の念は伝わってこない。本書を通して伝わる著者の人柄から、私にはそれがある種必然のように思える。植垣は一生懸命生きたのだ。その都度その都度与えられた状況の中で、逃げず日和らずベストを尽くした。だから12人の同志には強い同情はしつつも、彼は自分の責任とは考えていないのだと思う。M作戦においては誰よりも果敢に戦い、逮捕直前には、あれほど身体がぼろぼろだったのに、植垣は、厳冬の妙義山で、坂口の言葉によれば「不屈のラッセル」を続け、仲間の山越えを助けた。それは彼なりの誠実さであり、むしろそれは安易に否定されるべきものではない。
まだ青春時代にいた若き植垣は、連合赤軍メンバーであった大槻節子に恋をしていた。大槻は過酷な総括を要求され、結局彼らは結ばれることなく、永遠の別れを遂げた。軽快な文体がその悲惨さをむしろ際立たせ、後半の第7章は本当に読むに堪えない。どこか自己弁護の香りが抜けない永田洋子の著作とは対極の意味での悲しさを強く感じる。植垣の一生懸命さが図らずも形作る真のドラマ。心を揺り動かすものがある。
意外と明るい赤軍派
★★★★★
連合赤軍を扱ったものは、どうしても全体の雰囲気が暗くなりがちだと思いますが、
この本に関しては何か大学のサークル活動について語っているかのような、不思議な
明るさがあります。
一方では壮絶なリンチ事件について克明に記されており、そのギャップが問題の深さを
表しているような気がしました。
永田著「十六の墓標」坂口著「あさま山荘1972」とは違い、赤軍派側から連合赤軍事件に
至るまでの過程が書かれていますので、新しい発見もあります。
文章力もあり、読みやすいので長いのも気にならないと思います。
流れに飲まれるということ
★★★★☆
著者の植垣氏は、連合赤軍事件の当事者として『地獄』を経験することとなった。しかし、そのきっかけはほんの偶然であった、ということがよくわかる。
たまたまの出会いが人の人生を変えていく。時代の影響もあるとは思うが、彼らと普通に生活している僕たちとの違いは、初発の時点ではそれほど大きなものではない。
THE MURDER MYSTERY
★★★★☆
今日の日本で共産主義なり社会主義なりを掲げる運動がほとんど支持を失った理由として、革命の大義のために敵であれ味方であれ人間の命を意図的に奪ひ理論的にもそれを正当化するといった非情さにみんなの嫌気がさしたといふ面は小さくなかったはずだ。たとへそこには偽善や保身がふくまれてゐるとしても、この臆病で「やさしい」感覚をこれからも大切にしたい。
1971-72年の連合赤軍における仲間殺しは凄惨をきはめた。たとへば立花隆氏の本を通じて知られる革共同の内ゲバさへもが、相対的には、明るく感じられてくるほどだ。本書は、筆者の生ひ立ちから書き起こされ、群馬県の榛名・迦葉山ベースで12名のメンバーの死亡にいたる過程が克明に記述されてゐる。鈴木邦男氏が「あとがき」で絶賛してゐるとほりに、ぐいぐい読ませてくれる。ただし、筆者があくまでも事件の当事者であるといふことには注意しなければならない。特別な予備知識をもたずに本書を読む人は、「あいつが元凶だ」といふ印象をある人物について抱くにちがひない。ここにおいて、本書はミステリーとしての相貌を呈するのである。