著述にあたってのスタンスも率直なのが好ましい。これだけの文章を書ける聡明な人物が、暴力的な事件を起こしたというのが繋がらない印象を受けた。
一方で、運動に携わった当初の部分は、客観的な記述が目立つが、本人が運動の中心になってくるにつれ、だんだんとその客観性が失われていくようにも感じた。彼らの中でどのような思想があり、どのような議論があって、行動をとったか、ということは詳述されるが、一方で、そもそも、彼らをそこまで駆り立てた動機が何だったのか、といったことは見えにくい。少なくない仲間が様々な事情で運動を脱落していく一方で、ひたすら尖鋭的になっていく著者たちの行動の拠り所は何だったのか?そういった俯瞰的な視点での、分析の欠如を感じた。
仲間内で高邁な討論を繰り返し、自らの行動を正当化していく一方で、指名手配されている自分たちがテレビのワイドショーにとりあげられているのを見て、潜伏後の著者たちが、初めてショックを受けるという場面が特に印象的だった。
羽田空港突入とか同志殺しとか、ふつうの人にはとてもできそうにないことだ。しかし、私には著者が決して特殊な人であるとは思えなかった。私と同じ人間だ。ふつうに社会の中で生き、考えるべきことを考えていたら、自然と運動に参加するようになった。そして何かの間違いで、人を殺すまでになってしまった。それだけのような気がする。
もちろん、彼らがしたことには大きな誤りもあろう。しかし、なぜそういうことをしたのか、が重要であり、彼らに対し「過激派」「凶悪犯」として特異な目を向けることは何の意味もない。
学生運動の歴史を読み解く上でも、「連合赤軍指導者」の人となりを知る上でも、60~70年代がいかなる時代であったのか想像する上でも、そしてこれからの私の人生を考える上でも、本書は重要な示唆を与えてくれると感じた。