敬虔なユダヤ教信者であった著者は、アウシュヴィッツ強制収容所で残虐な行為を目の当たりにし、
神を「被告」、自身を「原告」とまで言い切って、その信仰を捨て去る決意をする。
信仰する神がいる場合、過酷な状況下でその信仰を維持できるかというのは、おそらく大変大きな問題であると思う。
が、私がこの本で最も衝撃を受けたのは、
彼が、神の次に、ともにアウシュヴィッツ強制収容所に収容された父親を見捨てるか否かで葛藤し始めるくだりからだ。
強制収容所到着当時は、少年である彼の全ての支えであり、何があっても握った手を離すまいとまで思いこんだ父が、
過酷な生活の中で、弱り、枯れ始め、若い息子の足かせとなっていく。
老いた親を「重荷」と感じるとき。
現代社会にも通じる問題を内包しているようで、
子の立場と親の立場、どちらの立場で読んでも痛いほどの辛さを感じた。