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価格: ¥2,808
カテゴリ: 単行本
ブランド: みすず書房
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生きのびることが常に最善であるわけではない ★★★★★
現在のヴィーゼルはホロコーストをゆすりに使って金を得ていると非難されています。そうかもしれません。けれどもこの「夜」という作品だけは、少なくともそうしたことが起こるずっと前に書かれた作品です。

ここに描かれているのは主に、収容された側の人間たちについての物語です。自分たち自身を神の似姿であると信じたくなったときには、本書を読むことをおすすめします。そしてなんとしても生きのびたいという思いが、生きのびることよりもさらに大きな代償を伴うことを、あらためて認識するべきかと思います。
ホロコーストを通じて描かれた人間の本質と運命 ★★★★★
 ホロコーストを経験した作家Wieselの自伝的作品である。少年エリは父親と共にアウシュビッツへ送られる。生死のぎりぎりの中で二人は力を合わせて生き延びようとする。やがて父親は心身共に弱っていき、エリの重荷になっていく。看守に泣いて水を求めて叩かれたりする。そのようなことをしても無駄だということが父親にはわからなくなってしまったのだ。エリは、必死で父を励ましながら、このままでは二人とも死んでしまうという焦りを持つ。そして、朝に目覚めたエリは父親がいないことに気づく。寝ている間に父親は連れ去られたのだった。エリは、涙がでないことに良心の呵責を感じる。もう何も感じないようになっていた。
 しかし、心の奥を本当に見つめていたら、父親がいなくなって、やっと自由になったと思っている自分がいたのではないかと書いている。
 他にも衝撃的な場面がある。二人の囚人と一人の少年が処刑されることになった。この少年は皆に愛され、天使のような顔を持っていた。
三人が吊るされたとき、二人の大人は直ぐに死んだが、体重の軽い少年は半時間以上も苦しみもがきながらも、生きていた。それを囚人たちは見続けていた。
エリの後ろにいる男がつぶやいた。「神はどこにおられるのか」。エリの心の中で声が聞こえた。「どこにおられるか?ここだ。ここで神は絞首台に吊るされている」。
重い歴史 ★★★★★
人間の残酷さに、驚かされる。まるで作られた残酷な物語のようだが、
この出来事が事実在った事に、改めて生々しく空恐ろしい
気分を感じた。人間の歴史の中の戦争で、人は無数に殺されて
来たが、20世紀の近代にあれほどまで人間の尊厳を
奪い取った殺人は、それも組織的に国家がやってきた事に
人間の奥深い残酷さを知る。
極限状態を経験した人間は…… ★★★★★
 15歳の時にアウシュビッツを経験した著者の自伝小説。
 ユダヤ人強制収容所の想像を絶する残酷な状況を、終始淡々とした文体で綴っている。
そのことが逆に読み手に大きな衝撃を与える。
 極限状態を経験している人間がどのような思考になり、どのように行動するか、主人公の少年の目を通して描かれている。
それだけではなく、その少年自身の心の動揺、正直な思いも綴られており、その記述が私の心に抉られるような痛みを感じさせる。
 少年は戦後解放され、病気で生死の境を彷徨った後、久しぶりに鏡で自分の顔を見る。
「鏡の底から、ひとつの屍体が私を見つめていた。私の目の中のその屍体のまなざしは、そののち片時も私を離れることがない。」
この小説の最後の2行は、生き残ったユダヤ人が一生背負わなくてはならない残酷な運命を表すと同時に、読む者の心を戦慄させる。
あまりにも重い「親」が「足かせ」となるとき ★★★★★
14歳でアウシュヴィッツ強制収容所を体験した著者の生還までの体験記。

敬虔なユダヤ教信者であった著者は、アウシュヴィッツ強制収容所で残虐な行為を目の当たりにし、
神を「被告」、自身を「原告」とまで言い切って、その信仰を捨て去る決意をする。

信仰する神がいる場合、過酷な状況下でその信仰を維持できるかというのは、おそらく大変大きな問題であると思う。

が、私がこの本で最も衝撃を受けたのは、
彼が、神の次に、ともにアウシュヴィッツ強制収容所に収容された父親を見捨てるか否かで葛藤し始めるくだりからだ。
強制収容所到着当時は、少年である彼の全ての支えであり、何があっても握った手を離すまいとまで思いこんだ父が、
過酷な生活の中で、弱り、枯れ始め、若い息子の足かせとなっていく。

老いた親を「重荷」と感じるとき。
現代社会にも通じる問題を内包しているようで、
子の立場と親の立場、どちらの立場で読んでも痛いほどの辛さを感じた。