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アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察 (朝日選書)

価格: ¥1,470
カテゴリ: 単行本
ブランド: 朝日新聞社出版局
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これが男か ★★★★★
★ガザ爆撃、糾弾!! イスラエル体制派に死を!!! やつらにプリーモの爪の垢でも煎じて呑ませてやりたい。
★ガザ侵攻、糾弾!! 女子供の流す血に塗れたガザは、圧殺者ども自身の流す血に餓えて叫んでいる――味方戦車の誤射による戦死者3名だって、オウンゴール1発だけ、これでは少ない! 少なすぎる!! 文字通り、《ガザをイスラエル兵の墓場に!!》
 さて、以下の拙文は聊か旧稿ながら――

 あと一年たらずで西暦二〇〇〇年、つまり私たちの二〇世紀は終わる。人類がこれからもいわゆる発展を続けてゆくにしても、あるいは突然、そう、かつて地球上に繁栄を極めた恐竜たちのように、突然絶滅してしまうにしても、それはもう私たちの子孫に残された問題と課題に等しい。まだまだし残したこと、出来るわずかばかりのことはあるにしても、私たちとしてはおのれの過ごした二〇世紀が果たしてどんな時代であったのか、検証して、残すべきものは残して後世に託すしかない。では二〇世紀とはどんな時代であったのか?
前半に二度もの世界大戦とロシア革命、後半も朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、中東戦争……と、戦後生まれの私たちにとっても、それは疑いもなく戦争の時代であった。歴史はむろん、社会や文化、文学、人生も戦争との関わりなしには語れない。ことに二度目の大戦は人類に深い爪痕を残した。ドイツ人がユダヤ人を始めとする何百万人もの人びとをシステマチックに大量殺戮したことである。髪の毛は鬘に、死体の脂は石鹸に、灰は肥料に利用するほどの凄まじさだった、あるいは人間の尊厳に対して爬虫類的な冷やかさであったというべきか。しかもこの絶滅収容所を頂点とするラーゲル網が、いまも世界的な発展を続ける原発などドイツ式重工業の産業基盤に深く組み込まれていることは重要である(いまのアメリカに見るように、その根底において彼らのラーゲル精神が清算されたと考えるのは早計ではあるまいか。)*。ドイツの版図が拡大するにつれて当時のヨーロッパは収容所大陸と化していた。

*ラーゲルからの奇蹟の生還を遂げたイタリア人作家プリモ・レーヴィは、その著書『これが男か』劈頭の詩でこう歌っている。

       おまえたち、ぬくい家のなかで
       安全に暮らして、
       晩に帰れば
       熱い食事と親しい顔々が待つ、者たちよ、

         考えに考えよ、これが男か
         泥のなかで働きぬいて
         片時も安らぎを知らず
         パン半分のために闘い
         シ、またはノと答えたばかりに死んでゆく者が。
         考えに考えよ、これが女か、
         髪はなく、名前はなく
         もう思い出す力を無くして
         虚ろな眼に、冷えきった身体の芯の
         冬の蛙みたいな者が。

       思いを凝らせ、これは実際にあったことなのだ。
       おまえたちに命じておく、これらの言葉を、
       心の奥に刻みこめ。
       家におるときも街中に出かけるときも、
       寝るときも起きるときも、
       子供たちにくり返し言いきかすのだ。

         さもないとおまえたちの家は解体され、
         病でおまえたちは動きがとれず、
         子らはおまえたちから顔を背けることだろう。

 では、そのころ私たち日本人はどうしていたのか? 中国を侵略し、一九三七年には南京大虐殺を引き起こしている。一九四〇年には日独伊三国軍事同盟を結び、太平洋戦争に到る。疑いもなく間違った側について戦っている。捕虜を「丸太」と称して人体実験をくり返した七三一部隊の例ひとつを取ってみても、私たち日本人がドイツ人と比べてより冷血でなかったとはとても言えない。招集されたから、命令されたから、知らなかったから、で済む問題ではない。
 では、イタリア人たちはどうしていたのだろう? 一九四三年七月にムッソリーニを逮捕、九月に連合軍と休戦、イタリア軍は崩壊し、ドイツ軍による占領とドイツ傀儡の新ファシスト政府の成立、これに抗して北イタリアの各地でパルチザン戦争が起こる。そう、イタリア人たちは一九二二年のローマ進軍以来ファシズムのもとに一九三五年にはエチオピア侵略、三九年にはアルバニア併合と、ドイツ人や日本人に負けず劣らず間違った側について戦っていたのだが、四三年の軍崩壊後は民衆のレベルで、個人のイニシアチヴのもとに正義と自由のために戦うことになる。〔『イタリア抵抗運動の遺書』冨山房、参照。〕どうしてこのようなことが可能だったのだろうか? 私たち日本人やドイツ人にしても銃口の向きを変えて、民衆を死に追いやる者、体制を翼賛する者たちと戦うことなど思いも寄らなかったろうし、何よりも抑圧を生む構造をおのれが支えていることにあまりにも無自覚であった(2008年末の私たちの更なる無自覚ぶりは平和そのものの意味を貶めているのかも知れない)。彼らイタリア人だって、人間として生きるぎりぎりのところで敢然と起ち上がったわけだが、こうした経験は私たち日本人の戦争体験からはまったく欠落している。


                 『流離譚‐本と絵と恋と‐』http://ryuritann.blogspot.com/          

                            愛しいひと

                            蜘蛛の巣の小道
言葉 ★★★★★
あの人たちの状態を表す言葉が無い。あそこ以外の場所で生まれた言葉では足り無い。今ある言葉が不自然な並びで、無い言葉を表現している。そのように書かなければならないことは暖かいところで生きてきた「人間」には無い。鳥肌を立たせることしかできなかった。
木を見て森を見ないことで見えてくるもの、言葉。あの時生まれそうになって分散した言葉がまた形成されないように、この木を忘れないように「理解出来なくても知る」ことを覚えようと思った。1つの木を全てとするのではなくて、全体をぼんやり見るのではなくて。
今「人間」であることを幸せに感じたい
アウシュヴィッツを理解し、戦慄する最高の名著 ★★★★★
大学のゼミで読む文献の理解を助けるかもしれないと思って、以前買ってあったこの本を、二日かけてよむ。


内容はまさに戦慄だ。
少年時代、『アンネの日記』を読んでホロコースト=ユダヤ人虐殺についてのイメージを植えつけられた我々にとって、この内容はあまりにも衝撃的過ぎる。
”ここより下が無い”という意味でまさに地獄と形容された「強制収容所」。そこで人間以下の、いや、以下というような上下の観念ではない。最早「人間ではない何か」として扱われた筆者の体験は想像を絶する。この本を読まずして、我々はナチスによるユダヤ人虐殺の何を知ったと言えるのだろうか。今までの自分を深く反省したい。この本に書かれているのは、歴史的考察でも、学術的な理論でもない。単に、強制収容所を生き延びた男の回想録だ。そして、その証言の持つ真実の重みの前に、我々は最早立ちすくむしかないだろう。

内容も難しくないし、電車の中で読める感じ。
第二次世界大戦というものがどういうものだったのか、その恐怖を理解するうえでも必読の一冊。
創作でない「事実」の重み ★★★★★
アウシュヴィッツ強制収容所から生還したイタリア系ユダヤ人の手記。

ナチス・ドイツによるユダヤ人の迫害は史実として知ってはいたものの、
実際に強制収容所を体験した人の手記を読んだのはこの本が初めて。
抑留者たちの想像を絶する凄惨な状況に、本を手にとった日の夜は眠れなかった。

ドイツ語を解さなかった著者が強制連行された収容所から無事生還できたのは、
本人の強い意志の力というよりも、ほとんど僥倖によるところが大きいと感じながら読み進めた。

それほど、著者の綴る文章は繊細で、
「髪も、名誉も、名前もなく、毎日殴られ、日ごとにきたならしくなり、目には、反逆心も、平安も、信仰の光も読み取れない」
抑留者の一人として、自らの人間性が破壊されていくのを深く自覚しすぎている。

そのとても耐えられそうもない極限状態の中で、
友人を得、今日を生き延びる術を身につけ、この体験を「他人」に語りたいと熱望し、生へ執着していく様は圧巻ですらある。

人というものは、かくも強くしぶといものなのだ。
その一人一人、顔も過去も人生も生活も家族もある人々を、物か何かのように「処理」し、
しかも、その遺体の骨や歯ですら「再利用」していたナチス・ドイツの非人間的な行為は決して許されるものではない。

同じような被害者が出ないために、また、いつの間にか自分が加害者の側に組み込まれていたというようなことがないためにも、必読の書だと思う。

21世紀においても ★★★★★
もう過去のことなんだから…と、過去のことには触れずに済まそうとする流れがあります。
しかし、私を含めた『若者』には、「実際に何があったのか」歴史を知り、歴史から学ぶ必要があると思います。

かつてその歴史を体験した方々の話は貴重です。
しかし、その出来事が悲惨であればあるほど、遠い昔であればあるほど、その話を「直接」聞くことが難しくなります。
その点で本書のような『書籍』には、臨場感(不適切な言葉です)には欠けるものの、半永久的に存在できるという利点があります。

読んでいて胸が痛くなりますが、読んで絶対に後悔しません。
良い本です。お薦めします。