レーヴィは自分が収容されたにも関わらず、アウシュヴィッツにおける抑圧者たち(SS、ナチなど)に対して一切恨みを持つことはありませんでした(それはレーヴィの生還後のインタビューより明らかです)。レーヴィは驚くべきことに、そんな抑圧者を理解しよう、そして抑圧者が自分のしたことを悔い、言葉ではなく、態度によって改めたならば、抑圧者を赦そうとも述べています。また、戦争当事者を裁くことの責任についても本書で言及しています。
この本を読んでから、私は良心の呵責に堪えません。確かな記憶ではありませんが、レーヴィは生還後、うつの状態になり、自分が生きていることに罪悪感を持っていたようです。そんなレーヴィの「二度と戦争を繰り返さないで欲しい」という願いはいまだに達成されていません。それでも、レーヴィは後世のために、本を執筆し、自分の体験、記憶を残すことで自分の望みを伝えようとしました。
「いま」なら、レーヴィができなかったことができるのではないでしょうか。もちろん、本書に書かれているように誰しも独裁者になる可能性を否定できませんし、実際に、当時の日本は悪の枢軸と呼ばれていました。それでも…同じ人間である私たちが、戦争について考え、無益な暴力を否定すること…不可能ではないのです。
決して他人の経験を知ることは無意味ではありません。私が人間であるように、他人もまた人間です。つまり、レーヴィの経験を知るということは、自分を知ることと変わりない…のではないでしょうか?ぜひ、この本を読んで下さい。