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溺れるものと救われるもの

価格: ¥2,940
カテゴリ: 単行本
ブランド: 朝日新聞社
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これが男か ★★★★★
★ガザ爆撃、糾弾!! イスラエル体制派に死を!!! やつらにプリーモの爪の垢でも煎じて呑ませてやりたい。
★ガザ侵攻、糾弾!! 女子供の流す血に塗れたガザは、圧殺者ども自身の流す血に餓えて叫んでいる――味方戦車の誤射による戦死者3名だって、オウンゴール1発だけ、これでは少ない! 少なすぎる!! 文字通り、《ガザをイスラエル兵の墓場に!!》
 さて、以下の拙文は聊か旧稿ながら――

 あと一年たらずで西暦二〇〇〇年、つまり私たちの二〇世紀は終わる。人類がこれからもいわゆる発展を続けてゆくにしても、あるいは突然、そう、かつて地球上に繁栄を極めた恐竜たちのように、突然絶滅してしまうにしても、それはもう私たちの子孫に残された問題と課題に等しい。まだまだし残したこと、出来るわずかばかりのことはあるにしても、私たちとしてはおのれの過ごした二〇世紀が果たしてどんな時代であったのか、検証して、残すべきものは残して後世に託すしかない。では二〇世紀とはどんな時代であったのか?
 前半に二度もの世界大戦とロシア革命、後半も朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、中東戦争……と、戦後生まれの私たちにとっても、それは疑いもなく戦争の時代であった。歴史はむろん、社会や文化、文学、人生も戦争との関わりなしには語れない。ことに二度目の大戦は人類に深い爪痕を残した。ドイツ人がユダヤ人を始めとする何百万人もの人びとをシステマチックに大量殺戮したことである。髪の毛は鬘に、死体の脂は石鹸に、灰は肥料に利用するほどの凄まじさだった、あるいは人間の尊厳に対して爬虫類的な冷やかさであったというべきか。しかもこの絶滅収容所を頂点とするラーゲル網が、いまも世界的な発展を続ける原発などドイツ式重工業の産業基盤に深く組み込まれていることは重要である(いまのアメリカに見るように、その根底において彼らのラーゲル精神が清算されたと考えるのは早計ではあるまいか。)*。ドイツの版図が拡大するにつれて当時のヨーロッパは収容所大陸と化していた。

*ラーゲルからの奇蹟の生還を遂げたイタリア人作家プリモ・レーヴィは、その著書『これが男か』劈頭の詩でこう歌っている。

       おまえたち、ぬくい家のなかで
       安全に暮らして、
       晩に帰れば
       熱い食事と親しい顔々が待つ、者たちよ、

         考えに考えよ、これが男か
         泥のなかで働きぬいて
         片時も安らぎを知らず
         パン半分のために闘い
         シ、またはノと答えたばかりに死んでゆく者が。
         考えに考えよ、これが女か、
         髪はなく、名前はなく
         もう思い出す力を無くして
         虚ろな眼に、冷えきった身体の芯の
         冬の蛙みたいな者が。

       思いを凝らせ、これは実際にあったことなのだ。
       おまえたちに命じておく、これらの言葉を、
       心の奥に刻みこめ。
       家におるときも街中に出かけるときも、
       寝るときも起きるときも、
       子供たちにくり返し言いきかすのだ。

         さもないとおまえたちの家は解体され、
         病でおまえたちは動きがとれず、
         子らはおまえたちから顔を背けることだろう。

 では、そのころ私たち日本人はどうしていたのか? 中国を侵略し、一九三七年には南京大虐殺を引き起こしている。一九四〇年には日独伊三国軍事同盟を結び、太平洋戦争に到る。疑いもなく間違った側について戦っている。捕虜を「丸太」と称して人体実験をくり返した七三一部隊の例ひとつを取ってみても、私たち日本人がドイツ人と比べてより冷血でなかったとはとても言えない。知らなかったから、招集されたから、命令されたから、で済む問題ではない。
 では、イタリア人たちはどうしていたのだろう? 一九四三年七月にムッソリーニを逮捕、九月に連合軍と休戦、イタリア軍は崩壊し、ドイツ軍による占領とドイツ傀儡の新ファシスト政府の成立、これに抗して北イタリアの各地でパルチザン戦争が起こる。そう、イタリア人たちは一九二二年のローマ進軍以来ファシズムのもとに一九三五年にはエチオピア侵略、三九年にはアルバニア併合と、ドイツ人や日本人に負けず劣らず間違った側について戦っていたのだが、四三年の軍崩壊後は民衆のレベルで、個人のイニシアチヴのもとに正義と自由のために戦うことになる。〔『イタリア抵抗運動の遺書』冨山房、参照。〕
 どうしてこのようなことが可能だったのだろうか? 私たち日本人やドイツ人にしても銃口の向きを変えて、民衆を死に追いやる者、体制を翼賛する者たちと戦うことなど思いも寄らなかったろうし、何よりも抑圧を生む構造をおのれが支えていることにあまりにも無自覚であった(2008年末の私たちの更なる無自覚ぶりは平和そのものの意味を貶めているのかも知れない)。彼らイタリア人だって、人間として生きるぎりぎりのところで敢然と起ち上がったわけだが、こうした経験は私たち日本人の戦争体験からはまったく欠落している。
この時代 ★★★★★
 アウシュビッツに象徴される現代性は、いまここを生きる僕達を強く強く押さえ込んでいるのではないか?
そうした意味で、目的への合理性を究極に追求したアウシュビッツの「工場」は僕の隣に建っている。 もちろん、あなたの隣にだって。

 レーヴィが徹底してこだわった生き残ったことへの「恥辱」は、結局彼を最後まで捉えて離さなかった。彼が言う抑圧者への「ゆるし」だって、もしかしたら、自分が解放されるための手段に過ぎなかったのかもしれない。
 
 彼をナイーヴにすぎると言うことだってできるかもしれない。その、全てを個人的な出来事として受け止めた姿勢を。

 だけれども、もしあなたがいま生きていることと自分がいる世界に少しばかりの疑問を感じるくらいの感受性を備えていたとしたら、その「問い」に答えようとする努力の一助になるはずだ。プリモ・レーヴィという先人のあがきは。

 我々には選択肢が残されている。まだ。
どうやって生きていくか?どうやってつながっていくか?
考えるには材料があったほうがいい。
 
レーヴィの遺言 ★★★★★
第二次世界大戦下、アウシュヴィッツを体験したユダヤ系イタリア人、プリーモ・レーヴィ。その彼がアウシュヴィッツ生還から約40年後、自殺の前年に書いた最後の作品が、この『溺れるものと救われるもの』です。その中ではすさまじいまでの自己省察とともに、アウシュヴィッツとは何であったかが改めて問い直されています。中でも、加害と被害の関係が極めて曖昧な「灰色の領域」、生還したものが感じる「恥辱」、我々が陥りやすい「ステレオタイプ」的思考がもつ恐ろしさについて提起され、考察されている章などは、この本の中でも、そして他のアウシュヴィッツ経験者の作品などと比べても、きわめてユニークかつ、読者自身が現代を生きる上で考えねばならない多くの課題を含んでいるといえるのではないでしょうか。レーヴィといえば『アウシュヴィッツは終わらない』や映画にもなった『休戦』が有名ですが、アウシュヴィッツから約40年間、証言者としての道を歩み続けたレーヴィが一体何に苦しんでいたのか、一体何を危惧していたのかが語られている点で、この本は非人間的状況から人間性を回復したことによって新たに生まれる苦しみや、月日がたつことによって生まれる不安などに関して、他の作品と比べるとより多くの言及がなされており、レーヴィ作品の中でもとりわけ多くの人に読んでもらいたいと思う本でした。
救われたはずの者 ★★★★★
この世の地獄 としか言いようのないアウシュビッツから生還し得た幸運な著者。
そうした自分の思い込みに気付かされ、打ちのめされた。
生きて帰れた彼らは自由を取り戻し解放されたのではなかったのか・・
あまりに悲惨な光景が脳裏に焼きつき、
助けられなかった人々への罪悪感に苦しみ(彼らのせいでないのに!)
なんとか苦痛と戦い続けた著者すら自殺してしまう。
ナチスの残虐のなんと執拗な悪魔性。
けれど著者は何度となく繰り返す。
理解しようとしない人々、聞こうとさえしてくれない人々への絶望を。
読むのが苦しくつらい時間だった。
それでもやはり真剣に耳を傾け,想像してみることが犠牲者への最低限の礼節だと思った。
《Di guerre e violenze non c'e‘ bisogno/CAPIRE e PERDONARE》 ★★★★★
アウシュヴィッツの生還者レーヴィは1987年、故郷であるトリノで自殺しました。この本は彼の自殺一年前のものです。

レーヴィは自分が収容されたにも関わらず、アウシュヴィッツにおける抑圧者たち(SS、ナチなど)に対して一切恨みを持つことはありませんでした(それはレーヴィの生還後のインタビューより明らかです)。レーヴィは驚くべきことに、そんな抑圧者を理解しよう、そして抑圧者が自分のしたことを悔い、言葉ではなく、態度によって改めたならば、抑圧者を赦そうとも述べています。また、戦争当事者を裁くことの責任についても本書で言及しています。

この本を読んでから、私は良心の呵責に堪えません。確かな記憶ではありませんが、レーヴィは生還後、うつの状態になり、自分が生きていることに罪悪感を持っていたようです。そんなレーヴィの「二度と戦争を繰り返さないで欲しい」という願いはいまだに達成されていません。それでも、レーヴィは後世のために、本を執筆し、自分の体験、記憶を残すことで自分の望みを伝えようとしました。

「いま」なら、レーヴィができなかったことができるのではないでしょうか。もちろん、本書に書かれているように誰しも独裁者になる可能性を否定できませんし、実際に、当時の日本は悪の枢軸と呼ばれていました。それでも…同じ人間である私たちが、戦争について考え、無益な暴力を否定すること…不可能ではないのです。

決して他人の経験を知ることは無意味ではありません。私が人間であるように、他人もまた人間です。つまり、レーヴィの経験を知るということは、自分を知ることと変わりない…のではないでしょうか?ぜひ、この本を読んで下さい。