本書においては日本が外国切手においてどのように描かれているかという焦点をおいて記述を進めるという手法を取っており、これまでの書になかった一冊の本としての系統性を感じさせ、同時に国家の宣伝戦略の中における郵便制度の位置や日本の国際社会での浮沈の情勢を浮かび上がらせることに成功している。
それにしてもこんなにもいろいろな国でこんなにもいろいろな日本が取り上げられているとは予想もしていなかった。
私も子どもの頃に切手収集に凝っていた時期があった。外国の切手や外国のことを取り上げた日本の図柄を見てその国に思いをはせたものであった。珍妙に切手によって珍妙な日本像が形成されていると思うと失笑とともに危惧が感じられるものである。
ところが、第3章の「原爆切手騒動記」からは、一転、本書の内容はシリアスになる。1994年末の一連の騒動について、丹念に事実関係をまとめ、そこから日本外交の抱える問題点を浮き彫りにした姿勢は、やはり、「学者」ならではといってよいだろう。近いうちに、ぜひ、竹島切手についても何か書いてもらいたいところだ。
また、第4章の「メイド・イン・ジャパンの外国切手」は、本書の最大の見せ場である。朝鮮最初の切手が日本で作られたいきさつだとか、民間の築地活版と清朝郵政との関係などは、日本の印刷史という点からも、興味深い記述のように思われる。さらに、吉田一郎という人物が蒙彊政府の切手政策にかかわり、挫折していくまでのプロセスを発掘し、再構成した部分は、良質のドキュメントとして読み応えがある。
お気軽な前半部と、硬派の後半部、一冊で二つのテイストが味わえるお勧め本である。
なお、本書のことを「アドホック」と批判する向きもあるようだが、おそらく、前半部分しかろくに読んでいないのだろう。後半部分の迫力を見れば、こうした批判は完全な筋違いであり、書評としてまともに取り合う必要はないと思う。