自分の頭で考え、自分の想いを自分の言葉で表現したいという人に、「考える」機会と勇気、小さな技術を提供するまったく新しい読み物です。「ほぼ日刊イトイ新聞」大人気コラムの単行本化。読むときっと、何か表現したくなる!
表現の動機
★★★★☆
あなたの言葉が聞きたい。
と、始まる本書。
しかしながら、
文章を書くためのノウハウについては、
ほとんどかかれいてません。
技術よりも、
その動機となる部分に問いかけてくるつくりになっている。
そしてそれは、
自分の人生の問題であったり、
他者のとの関係の問題であったり。
「はじめに」に、書かれているように、
考える力がつけば、自分を表現することは、もっと自由になる。そして、自分の頭で考える人が、一人でも二人でも増えていったら、世の中はもっと面白くなる。p5
ということは、
たしかにその通りだと思います。
つまり、
世の中を、自分を、
もっと面白くするための本。
あなたは、いま、どんな燃料で進んでいますか?p101
など、
本書にちりばめられている、
自分を見つめなおし、自分の考えを引き出すための問いも、
いいです。
頭をカナヅチで殴られた感じ
★★★★★
山田さんは考えている。自分自身のことも、他人のことも、読者のことも。当たり前かも知れないけど、簡単なことではない。考えて考えて脳みそから血汗ともいうべき液体を垂れ流しながら生きている。文章を通して山田さんの生き方を見せつけられ、なんだか読みながら泣いてしまった。
書く力はコミュニケーションする力
★★★★☆
ほぼ日で連載していたコラムをまとめた一冊です。
いわゆる文章読本的なものはいろいろあるけれど、これはちょっと新しい…。
ある意味一番、今、時代に合っているものかもしれません。
まず大前提として、文章を書くということは表現をするということ。
そのために…この本を通してズーニーさんが向き合ったもの。
それは「考える力をつける」ということ。
そしてそれは同時に「人とコミュニケーションする力」につながっていきます。
読んでいるうちに…小論文教室というよりは
人生相談を読んでいる気持ちになってきました。
想いと言葉が通じるには考える力が必要。
あたりまえでいて、難しいことです。
わかってほしいのにうまく伝わらない!とはがゆく思うことは
だれでも日常的に経験しているはず。
何かを表現したいのにできないのだとしたら、それはなぜか?
そもそも何を表現したいのかわからないとしたら?
読者と自分に、問いに問いを重ねていくズーニーさん。
山田ズーニーさん、初めて読んだのですけれど
すごく不器用で、真面目な方なのだろうなと感じました。
まっすぐに考え続けていく人です。
ふむ。
いろいろ考えさせられる問いかけがたくさんありました。
文章をより自由に書くために必要なのは、技巧の習得ではないのです…。
これは、文章が上手になりたい人よりも
自分探し中のひとにおすすめの一冊、です。
本にすべきではない本
★★☆☆☆
読もうとしている人に老婆心からご忠告:本書は、「○○教室」で通常想起するような意味での「教室」とは違います。小論文の技術論ではありません。
***
「教室」というからには著者は「先生」なわけですよね?そのわりになんだか著者自身が本の中でいろいろ思い悩んでおり、「先生」がこんなにふらふら揺れていては、読み手として私は「何かを汲み取ってやろう」という気持ちになれなかった。けだし書物には完結型(著者の一定の意見を提示するもの)と開放型(固定した意見を提示せず、読者に考えさせるもの)があると思うが、本書は開放型。そのこと自体はかまわないが、もう少しくらい自らの定見を読者に押し付けて迫ったりしないと歯ごたえがなさ過ぎる。売り物として「教室」の名を冠して出すのは不真面目なのでは。「教室」的な本は本来「完結型」を志向しないといけないと思ったりする。それと糸井氏のサイトの内輪で盛り上がっているようで、本で初めて読む読者に対しての最低限の礼儀を欠いている気がした。わざわざ本にしなくてもよかった。
そのことから離れていえば、「なぜ、つかみにいかない?」という著者の訴えはわりに好きだ。<もっと強く願っていいのだ、なぜ萎縮することが生活だと思い込むのだろう云々>と叫んだ、茨城のり子の「もっと強く」という詩を思い出した。
「想い」を「他人」と「自分」の間につなげる作業
★★★★★
文章を書くことに限らず,表現は何かを伝えるためにすることだ.
じゃあいったい何を?誰に?なんのため?
私たちはなんとなく表現したい気持ちを抱えているが,これらの問いに正面から向かい合うことは稀だ.
本の中のLessonを読んでいくと,著者が苦しみ,もがいて他人と自分と向き合い,世界に対して自分を開いていく様子がリアルに伝わってくる.
企業を辞め,フリーで仕事をしている現在の彼女の世界はどう見てもラクチンではない.
しかし,そのひたすらただ正面から「想い」を「他人」と「自分」の間につなげていく姿勢が,自分の中の凝り固まっている何かを思い切り外へ向けたくさせる.