建築家による斬新なマンダラ論
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インドのアジャンター石窟はその内部に塔(ストゥーパ)を持つ。塔を含め石窟全体は岩盤を削って作られているため、塔と周囲は同質であり連続している。この閉じた空間を宇宙に見立てるとき、塔は宇宙の中心である。中国の雲岡石窟でも形は異なるが塔が中心に位置する。ところが、その後の龍門石窟では塔に変わり天井に彫られた蓮華のレリーフが中心となり、その下にいる本尊仏と中心軸を作るようになる。いずれにしても「中心と周囲が互いに調和し交流しあう全体」(p24) が表現されており、石窟は三次元のマンダラだった。閉じて完結した空間であるがゆえに石窟は三次元マンダラに適していた。
三次元マンダラは地上の伽藍配置や仏像の配置によっても実現される。話題は日本に移り、飛鳥寺の伽藍配置や法隆寺の金堂・五重塔、さらに空海による高野山の構想や東寺の仏像配置にその例を求める。しかし時代が下るにつれ、マンダラ的伽藍配置・仏像配置は崩れていく。中心性が喪失してしまうのだ。ここに著者は日本のコスモロジーの特殊性を見出している。
一般に、マンダラといえば密教であり、密教マンダラ図絵は密教の根本経典である『大日経』および『金剛頂経』に基づいて描かれたという説が定着しているようだ。しかし、インドや中国の石窟、更には飛鳥寺の伽藍配置や法隆寺の金堂・五重塔などは、密教の根本経典の成立以前に三次元マンダラを実現しており、このようなマンダラの伝統の上に上記経典および密教マンダラ図絵が成立したのではないかという著者の説は説得力がある。「密教マンダラ図絵はマンダラの長い歴史のなかの一形態にすぎない」(p124)のだと。
三次元マンダラ
★★★★☆
「マンダラ」というと密教に固有の世界観のように思えるが、本書はそうした見方がやや不十分であることを教えてくれる。
出家僧に自身の葬儀をさせることを禁じたというブッダ本人の教えには反するが、後代にはブッダの遺骨を祀る塔=ストゥーパが建造されるようになった。
これは、インド文化に特徴的なコスモロジー=宇宙観の反映であるという(ある意味、大乗仏教とは反インド的なブッダの教えがインド的な思考に吸収された結果かもしれない)。なぜなら、インド文化において「塔」とは世界の中心のことだからだ。平坦な大地(インドには広大な平原が多い)にひとすじの塔が屹立することによって、この世界に秩序が生まれる。そして修行者は塔の周りを(右回りに)巡ることで、身体運動を通じてこの世の真理を体得することができる。この真理体験こそが、マンダラの原点なのだ。
この「塔」が、やがて龍門や雲崗などが有名な「石窟」の内部にも構築されるようになる。外界と区切られた石窟の内部は、まさに「世界の模式図=ミクロコスモス」であるといえよう。しかも内壁にはさまざまな仏達が彫りこまれる。石窟の中央にある塔を周回する者は、その仏達をつぶさに眺めながら塔を巡ることになる。これこそが、三次元的に展開されたマンダラ空間の体験である。
そしてこの「塔」を「世界の中心に鎮座する大日如来」に置き換えてみるなら、それはそのまま密教の世界観に変貌する。つまり大日如来を中心とし各方位に諸仏を配置するいわゆる「マンダラ」は、こうしたインド的世界観の一バリエーションだったのである。
聖なるものの体験。建築家の目で、体験を与えた場を、他国への伝播を追いつつ考察
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○インド、アジャンター石窟のうち5世紀後半に掘られたとされる祠堂第19窟。20年前にそこを訪れた著者は、窟の中央に立つ仏像と塔から、「聖なるもの」がとめどなく周囲に流出し、同時に周囲の世界の全てが、再び「中心」に帰るように塔の頂部に流入する、永遠の息吹を宿す小宇宙を体験した。○またBC3〜1に建造されたサーンチーの塔では、バラモン教の世界の始まり、「中心」である半球体の塔を中心にして、右回りに廻る道(プラダクシナー・パタ)を巡回していくと、巡礼者としての著者は宇宙の中心に同化し溶けていった。
これら非日常的な聖なるものの体験に促されて、それを与えてくれた場《塔、仏像、石窟、伽藍、人を聖なるものに媒介する右回りの道(プラダクシナー・パタ)など》を、建築家の俯瞰的な目で分析をしています。考察はインドに止まらず、それが伝播した流れを、中国の雲岡と龍門石窟に追い、更に韓国の慶州にある石窟庵を調査し、各民族での「中心」の変容を確認。遂には我が国の法隆寺、東大寺、東寺などの伽藍様式をも分析し、「中心」が消えた日本文化の独自性を明らかにしています。専門の建築家の観点から場を立体的に捉える視点。また聖なるものの「中心」が他民族への伝播の間に変容していく様を、残された建造物から類推していく所が魅力的です。
我が国で、マンダラと言われる絵図は、密教修行者の瞑想の対象です。しかし、元々は信仰者が、聖なるものがとめどなく流れる小宇宙を、巡回と瞑想で直接体験できるように作られた建造物があった。後世、失われたその建造物に替わって、瞑想だけでも可能にするように、宇宙の全体観を直覚する手掛かりとして、象徴図としてのマンダラを残したといえるようです。
マンダラを巡る知的冒険☆
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本書は建築家であり
アジャンター寺院や法隆寺に関する著作がある著者が
「三次元マンダラ」をキーワードとして、
古代アジアの建築物を読み解く意欲作です。
一般にマンダラといえば壁に描かれたものを想起しますが
本書が注目するのは、建築様式としての三次元マンダラ。
二次元から三次元へ
―という単純な説明では説明しきれない両者の関係と変容を
インド、中国、そして日本の著名な寺院の例を参照しながら、
知的興奮と躍動感に満ちた文章で描きます。
一般的にはあまりなじみのない
マンダラや密教、古代建築等について
基本的な説明がなされているうえ
図表が多数掲載されているので
具体的なイメージがしやすく、
予備知識がなくても読み通すことができます。
どの記述も、とても興味深いのですが
やはり一番印象的なのは
飛鳥寺を上から見ると五重塔を中心にしたマンダラを形成している
―という箇所。
マンダラ=密教と漠然と考えていたので
この指摘は、まさに目からウロコでした。
お寺や仏像の見方が
グッと深くなること間違なし!!の本書。
ぜひ多くの方に読んでいただければ―と思います。
空間としてのマンダラ発見! 日本文化論としても秀逸
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マンダラは密教とともに誕生したと思っていた。これが常識ですよね。
建築家である著者は、密教以前の時代に造られたインドの「世界遺産」、アジャンターの石窟空間が立体マンダラとなっていることに衝撃を受け、マンダラ誕生の“謎を解く”旅が始まる。そしてインドの塔(ストゥーパ)に立ち返り、それが中心の周りを回る構造となっていることを確認する。
(前著『法隆寺の謎を解く』での謎解きの原体験は、じつはここにあったのですね)
それらは中心の周りを回る立体マンダラだったのだ。
(このような見方は建築家ならではの新発見だろう)
つづいて中国の「世界遺産」、雲岡と龍門を訪ねる。そして、もっとも精妙な立体マンダラを意外にも韓国で見出すのだ。
(著者の根性に頭がさがる)
それら立体マンダラから絵のマンダラが生まれたことが仏典の読解とあいまって解明される。この観点に立つと、マンダラ図絵の意味も明瞭になってくる。
(うろこがハラハラ)
このようなマンダラが日本でどのように受け入れられ、変容したか?
(大陸文化と列島文化の比較です)
それが伽藍マンダラを探訪するなかで解きほぐされてゆく。法隆寺や東大寺、そして空海が開いた高野山と東寺に至るところで再び盛り上がる。それら伽藍のなかに大陸との決定的な差を見出すのです。
(どういうことかは読んでのお楽しみ。ここで言うわけにはまいりませんが、日本文化論としても的を射ていて、秀逸)
本物の立体マンダラを知ってしまうと、東寺の「立体マンダラ」がむしろ平面的に見えてきてしまうから不思議。しかし、そこには空海ならではの天才的な戦略が隠されていたという…。
(これを「立体マンダラ」と喧伝することの浅薄さが、しみじみわかる)
壮大な時空の旅が豊富な図版(新書にしては破格)と歯切れのよい文章(前著『法隆寺の謎を解く』よりスピード感あり)とで繰り広げられる好著。
【追記】「あとがき」によれば、本書およびほぼ同時期に刊行された『空海 塔のコスモロジー』(同著者、春秋社)は姉妹書という関係にある。
【追記2】最近話題の内田樹『日本辺境論』(新潮新書)と一脈通じるところがあり、興味深かった。勿論、『マンダラの謎を解く』のほうが先行していますが。