だから、どーしろ、こうしろ、という本では、ありません。
歴史から、何を読み取り、どう活かすかは、「あなた次第」という厳しい本でした。
資本主義が成り立つための条件とは何かを、マックス・ウェーバー、大塚久雄の著作を中心にして先ず明らかにする。
資本主義にとっては、利子と利潤を得ることが「善」であるということに代表される「資本主義の精神」が不可欠であり、又、その資本主義の精神を実行するエトスが必要である。
明治維新において、そのエトスをもっていたのは、「下級武士」であったことなどが、マックス・ウェーバーの著作との対比で語られ説得性がある。
次に資本主義の発展のためには、「革新」が必要であることが述べられる。利潤の追求による競争が激化すれば、資本主義の命である利子と利潤は限りなくゼロに近づくが、これをブレークスルーするためには、「革新」が必要であることを、シュムペンターの「創造的破壊」を引いて解説されるが、これまた納得。
話題は、古代中国であるいは、日本の資本主義において、何故それがゆがめられ、あるいは、変質してしまったかについて、官僚制度の構図にも言及される。
それは、「家産官僚制」と「依法官僚制」の違いとして解説されているのだが、中国の「科挙」と現在の日本の「受験地獄」の共通性から、日本の官僚制は科挙で選ばれた結果、賄賂ばかりとって、政務においては実質無能であった官僚と変わらないといった説になってくると、中々過激だ。
第4章は、小室節得意の「経済原論」であり、ケインズの「有効需要の法則」と古典派の理論支柱である「セイの法則」から、近代経済学を分かり易く解説しており、この語り口も中々面白い。
また、一方で、科挙の歴史を紐解き、科挙に「傾向と対策」が導入された明代から、革新的な仕組みから堕落して、新たな特権階級形成の仕組みに堕したことを明らかに するとともに、明治期の革新性が日本において科挙をモデルとした「公務員試験」~「大学受験」が確立するとともに失われたことを明らかにした意義は大きい。
処方箋が起業精神、かつて、「創造的破壊」を生業にせざるを得なかった日本の下級武士、志と教養は高いがまったく赤貧という状況に置かれていた多数の経済の担い手の精神の復活ということ。
「勤皇精神」が、封建制の呪縛から「下級武士」を解き放つ役割を果たした点を明らかにしたのも、ぼくにとっては、「なるほど」ものであった。
さまざまな経済学の深みに入る前に、あるいは入った後に、全体観をつかむためにこの本は役立つだろう。