下手な小説よりも面白い
★★★★★
今現在の韓国を、それもドラマや映画を観ているだけではわからない韓国を、垣間見ることができた。
韓国における「親日派」という言葉は、連想しがちな「日本に親しみを感じている人たち」という意味ではまったく違うということ。
子どもの頃の韓国に対するイメージと、最近の韓流ドラマが流行りだしてからの、ソウル・オリンピックというよりはワールド・カップ以来のイメージがまったく異なるのはなぜかということ。
韓国ドラマの設定に孤児が多いこと。その背景。
ある国という意識や、その国民であるという意識は、どうやって成り立たせていくものなのか。
はたと思い当たったり、考えるに値することが多い。
私は近現代史にうとい。この本を読んで改めて思ったが、日本のことさえよく知らない。他国史から透けて見えてくる日本の姿をも受けとめていきたいものである。
韓国を知り、己を考えるうえで
★★★★★
『ハンギョレ21』に二週間に一回というハイペースな連載にかかわらず、現代韓国の抱える問題が、歴史的の連累と織り交ぜながら描かれていく質の高い書。今日韓はナショナリズムの激突状況にさいなまれている。「どちらかを全否定しないと」打開できない閉塞関係にあるといっていいだろう。本書はそうした状況を相対化し、内省的に現在の問題を捉えていこうと試みている。しかしただの相対主義ではない。あくまで平和的で人権が守られる韓国の未来を希求するという絶対的な目的のうえにそれがなされているのだ。だから本書を読んで「納得」してはいけない。私たちも同じように自国を相対化し、未来を共有するために反省的に歴史と現在を問わなければならないのだ。
断片的な批判に終わっていることが残念。
★★☆☆☆
韓国では今まで触れられてこなかった歴史の汚点を明らかにしようとしている姿勢は見られるが、この本は歴史書というよりも、「韓国批判書」といったほうが適当かもしれない。しかもこの本は議論の飛躍がはなはだしく、冷静な立場で歴史を批判しているとは言い難い。ただ断片的にあらゆる問題を批判しているだけで、各章の連続性がなかったことが残念である。「現代史」というからには当時の朝鮮半島をめぐる国際関係や国内での左右分裂状態などもう少し視野を広げて時系列的に議論を展開させてほしかった。
日本の近現代史を照らす鏡
★★★★★
本書は、1959年ソウルの知識人一家に生まれた、アメリカ留学経験を持つ市民運動家兼歴史学者である著者が、「進歩的」な時事週刊誌『ハンギョレ21』に2001年2月から2003年2月にかけて隔週連載した文章を集めたものであり、韓国ではベストセラーになっているという。確かに読みやすく、興味深い記事が多い。本書の特徴としては、第一に北朝鮮への比較的宥和的な姿勢と、米国への批判的な姿勢があげられる。これは日本の戦後知識人との類似性を感じさせるが(実際、戦後の日韓は対米従属という点で類似している)、ただ韓国の場合、従来軍事独裁政権の下、こうした立場を公言することすら困難であったという政治的な事情を考慮に入れるべきだろう。第二に、本書では「日帝残滓」問題が強調されているが、これは自国の問題を他国に転嫁しているのではなく、あくまでも韓国自体の民主化の問題として考えられている点に留意すべきである。第三に、そうした帝国主義批判の問題が、日本では反ナショナリズムの立場につながりがちなのに対し、本書においては民族主義的な立場につながっている(かつて植民地化され、戦後分断された朝鮮の状態ゆえ)。それが、著者が独自のニュアンスをこめて使う「本当の保守」という立場にも現れていると考えられる。韓国の若い世代の歴史認識を考える上で、ためになる好著であろう。