巨視的で説得性のある見方
★★★★★
東アジアのひとつの島嶼としてあった日本、未だに日本人のオリジナリティが本当の意味ではっきりしない国、を前提に考えると古代の東アジアの国家形成のプロセスは実際このような感じであったのであろうと思います。何か古代史の日本を少し高い目線から鳥瞰したような印象があります。コメントを読みますと賛否交錯していますが、冷静に日本のルーツを振り返れる一書と思います。
考え方の一つとして聞いておこう
★★★★☆
倭人の成立と韓人の成立を並行して考えていかないと本書には反発を感じるだけだろう。
本書は、もっと朝鮮半島が混沌として時代を前提として、その半島から渡ってきた弁韓の一派が大和政権と何らかのつながりを持つと考えている。
そう考えれば、かつて任那と呼ばれた地域に大和政権が権益を有していたとする主張も合理的な考え方であると思われる。
終盤では言語的な考察を行っている。
英語とドイツ語ほど日本語と韓国・朝鮮語は近くないのだという。
韓国・朝鮮語は、新羅語に端を発し、新羅語と百済語は近い関係であったことを紹介している。
逆に、日本語は、加耶語を介して高句麗語と近いと考えられるそうである。
本書は、日本人としてはいささか反発を感じないわけではないが、広い心をもって読んでおくべきであろう。
刺激的日韓古代史
★★★★☆
先日、慶州を訪れその風情を満喫してきたせいかもしれないが、本書は実に刺激的で興味をそそる日韓古代史概説である。解説で、当該歴史の最高権威者である井上秀雄が遠慮がちに指摘しているように、内容にはかなり無理な推論もある。しかし、殆ど正しいと思われながらもそれらを立証する証拠の発見はあり得ないような事柄もあるのは致し方ないことだ。著者がその後、近世に興味を移したのか更に日韓古代史に関して詳しく書いていないのが不思議である。
大胆な仮説に満ちた論考だが、その主張は徐々に裏付けられつつある
★★★★★
仮説に満ちた本書だが、基調となる主張は、弥生時代頃の南部朝鮮の加耶(日本での任那に相当)と北部九州の人たちは、言語と習俗そして共通した神話的伝承をもつ同系統の民族だということ。加耶人は半島の住人だが新羅人や百済人とは系統が違い、両者に圧迫される形で倭地に渡来したのではいうことである。加耶の始祖首露王が亀旨(クジ)峰に天降る話は、記紀の天孫降臨の「筑紫の日向の高千穂のクジフルタケ」と一致する。天孫降臨は宮崎県(日向国)高千穂での事というのが通説だが、これは記紀の「此地は韓国に向ひ」や降臨前に天照大神が女神三柱を降らせ海の守りにした記述が説明できない。北部九州であるとすれば、天孫は筑紫国に天降り、三柱は宗像大社の祭神ということになり自然である。福岡にも「日向峠」が実在する。天(アマ)は海(アマ)に通じ「天降る」は海を渡ったということで、やはり天孫降臨は加耶人の倭地渡来を伝承したものであろう。
トンデモ本
★☆☆☆☆
これは以前「天孫降臨の道」の題で福武文庫に入っていたものですが、その解説者が厳しく批判しており、今回著者もその批判に応答する文章を載せていますが、「万葉集は朝鮮語で読める」なみの、妄想から成るトンデモ本としか言いようがなく、わざわざ文庫にした講談社の見識を疑います。