まつろわぬ民、蝦夷を想起する
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蝦夷(エミシ)、という言葉の響きに何ともいえない情感を覚えてしまうのは、三上寛の歌を聴きすぎたからかもしれないが、終わってしまったものとまだ始まらないものの間で身を震わせて滅んでいく、という姿が思い浮かんでしまうのが、蝦夷という言葉のイメージだった。まつろわぬ者として差別者から命名され、自身の言葉も残らなければ理解されることもなく、ただ滅ぼされた幻のような民。この著書は、考古学の研究成果や人類学の理論、比較神話学や文献分析など、使える手段を駆使して蝦夷の生活や社会行動、心性をできる限り明らかにしようとした力作。
蝦夷の民族的起原や、蝦夷という名称が当てはまる領域が歴史的に変動していったこと、西日本に中心を持つ政権のコントロールに従わぬものとしての名づけが外交上の必要性とも一致したこと、発掘された遺跡からわかる暮らし向き、蝦夷が段階的に征服されていった経緯など、順序を追って彼らの存在の実態が少しずつ明らかになる。その過程で考古学の調査の技法も少しだけわかる余得もあるが、歴史的記述は少し物足りなかった気がした。
それでも、日本古代史で律令政治・摂関政治・天平文化・国風文化なんて事柄が進行していた時期に、全く違う生き方・暮らし方が同時にあり得ていたことは、実際に読みながら考えていくと新しい空間的捉え方が自分の中で生まれてくる効果があった。
また、辺境に位置して独自の暮らし向きを営むという点では琉球王国ととても似通っていて、その生活の営みが共に交易に基づいているというのが面白かった。勿論「辺境」という名付け自体が中央を前提とした捉え方だということは忘れてはいけないのだろうが、琉球王国・アイヌ・蝦夷、それぞれの暮らし向きは中央と比べればよっぽど三者はお互い似通っていて、しかし蝦夷の姿だけはこの著書を読んでもぼんやり霞んでいる。
あと、蝦夷が滅んだのはお互いに争うことを専らにしていて、共に団結して生きることを知らず、敵の朝廷側にお互い対立するように、共に争うように仕向けられたからだ、という指摘が何度か繰り返されていたのが気になった。その気風は今でも時々感じることがある。
とてもよく纏められた著作。ただ、もう少し知りたいというのが本音です。
非常に整理された内容
★★★★★
蝦夷に英雄時代はあったか、をテーマにする一冊。
とはいえいきなり蝦夷の指導者たちに迫るのではなく、
冒頭からじっくりとページ数を割いて、外堀を埋めるかのように
「蝦夷とは何か?」に迫ってゆく。
著者自らの主張を展開するというより、最新の研究の成果を総合的にうまくまとめてくれている。
章立て・構成が絶妙で、よく整理されており、非常に理解しやすい。
その上で、なぜ古代蝦夷と呼ばれた人々が独立国家を持つに至らなかったのか、
またその可能性はなかったのか?という考察へ入って行くので、
その論説にも説得力を感じさせられる。
東北地方から北海道にかけて、色濃く足跡の残るもう一つの日本の歴史。
はるかな歴史の浪漫に、思いを馳せる一助になってくれる一冊。