欲求不満を飲み込んで動いていく「運動」
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大衆の運動がどのようなメカニズムで動いているかを分析した書。
現在においてもなお、いわゆる「運動」についての分析としては有意義だと思われる。
大衆運動は、現在の状況への倦怠、欲求不満を持つものによって支えられている。
運動は、実現不可能な理想(共産主義のユートピアとか)を目標に掲げることで、永遠に運動し続ける。
運動では、個人よりもはるかに大きいものを掲げることで、個人はその部分であると認識させ、自己犠牲へと走らせる。
(現在だと、「平和」とか「人類共同体・人権」とかになるのだろうか)
日本については少ししか出てないが、戦前の軍国主義の運動から、戦後は一転して共産主義の運動に変わったとの記述は興味深い。
最後に、気になった一文を
「(権力に)異議を申し立てている言論人が、自分自身のことを、暴政にしいたげられてい傷つけられた者の擁護者であるとどのように考えても、きわめてわずかの例外を除けば、彼を動かしている不満は私事に関する個人的なものである。言論人が持っている同情は、ふつう自分が獲得していたかもしれない権力への憎悪から生まれるのである。」(p153)
今こそE・ホッファーを読み返せ
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「神は死んだ」と言われて久しいが、21世紀を迎えた現在、他者への不寛容を特色とする原理主義者の”情熱的な精神状態”は、"テロリズム"や"殉教"の形でも噴出し、世界に大きな影を落としている。
彼らが渇望するのは自己からの逃避である。「未来への信仰」を希望と呼ぶなら、言葉によって語られる希望は、宗教的雰囲気を立ち上げる。
その逃避行動が具現化したものが、宗教・国家・人種・民族などの"大きな物語"(ホッファーの言葉では「神聖な大義」)への熱狂的な関心とコミットメントだ。
ホッファーが同時代を評したように、現代は無神論の時代ではあるが、一方、極めて宗教的な時代だ。
そのホッファーの処女作にして主著。「人間が生きるということ」を真摯に見据えるなら、問答無用で読め。
やっぱり原典
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日本語訳では『大衆運動』という名で紀伊國屋書店から最近復刻出版されました。翻訳者は既に他界されているのですが、小生の頭脳劣悪にして翻訳文にては理解しがたいところがあって、原典を購入しました。
この本を私は「本当に信じちゃう人」と訳して読みました。1951年に書かれた本ですが、最近のオウム教団を想い浮かべても、ブッシュ支持のアメリカのキリスト教原理主義者に当てはめても少しも古さを感じませんでした。