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エリック・ホッファー自伝―構想された真実

価格: ¥2,310
カテゴリ: 単行本
ブランド: 作品社
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 「生きる」ことに真摯であるということは、これほどまで波乱に満ちた人生を送るということなのか。本書は、数奇な運命をたどりつつ独自の思想を築きあげた哲学者エリック・ホッファーの自伝である。

   7歳で失明、15歳で突然視力を回復。18歳の時に天涯孤独となり、28歳で自殺未遂。「私は死ななかった。だがその日曜日、労働者は死に、放浪者が誕生したのである」という彼は、10年に及ぶ放浪生活へ踏み出し、数々の出会いと別れを選び取りながら、劇的な生涯を送ることになる。

   トマトの収穫、ホップ摘み、砂金発掘などの季節労働。そのかたわらで、化学、数学、鉱物学などあらゆる学問にまい進し、読書と思索を重ねていく日々。そんなある日、彼は町のレストランで大学教授と出会い、これを機にドイツ語翻訳や研究の手助けなどのアルバイトをはじめる。あまりに研究熱心な彼に、教授は研究所での職を用意してくれるのだが、「本能的にまだ落ち着くべきときではないと感じた」彼は、ふらりと季節労働者の生活へ戻ってしまうのだ。

 「慣れ親しむことは、生の刃先を鈍らせる。おそらくこの世界において永遠のよそ者であること、他の惑星からの訪問者であることが芸術家の証なのであろう」。自己と徹底的に対峙し、自己欺瞞と戦いつづけたエリック・ホッファー。まず学ぶべきなのは「学問」そのものではなく、彼が貫いた学問への、そして、人生への「姿勢」かもしれない。(高橋美帆)

不適合者は、変革の時代には、適合者となる ★★★★☆
10年前、なぜかホッファーの本の一説を、自分のノートの書き記していました。
なにを観て、どういういきさつで記したのか、いまとなっては不明ですが、
それを読みなおして、ホッファーについての著作を調べました。

ホッファーについては、どの解説でも「沖仲士の哲学者」と呼ばれていますが、
そもそも「沖仲士」とは何か知らないので、調べてみました。

沖仲仕(おきなかし)は、狭義には船から陸への荷揚げ荷下ろしを、
広義には陸から船への積み込みを含む荷役を行う港湾労働者の旧称。
ということでした。

しかしホッファーが沖仲士となったのは、40歳からで、
それまでは波乱にとんだ人生を送っているのです。
5歳のとき、母に抱かれたまま階段から転落し、失明をし、
その母親は2年後に死にました。

15歳で幸いにも失明は回復するものの、父親が死に、
放浪人生が始まります。

この著書は、その放浪生活から40歳くらいまでの自伝をつづったもの。
旅道中で出逢う、奇異な人々との物語ともいえます。

しかし、ホッファーは単にかれらの描写をするだけでなく、
かれらの背景にある精神状態を、比喩などを使いながら描写していくのです。

ちょうどそのころはアメリカは、大きな変革の時代であり、
戦争や大恐慌を背景に、社会では「ミスフィッツ」つまり「不適合者」を
多数輩出する社会となっていたのです。

しかし、その社会における不適合者たちが、実はその変革の社会を
先達者として向き合い、荒波を超えてきたのだということが、
ホッファーの文章から読み取ることができるのです。

大きな変革の時代は、先達者は理解されることなく、社会の不適合者となってしまいます。
しかし、のちになって理解され、評価されることが多いようです。

そうはいっても、この日本には、社会学者、政治学者、評論家などなど、
多くの支持者が多いのも、ある意味豊かな国ということかもしれません。
よくできた短編集 ★★★★☆
今まで何冊かの自伝を読みましたが、それらとはかなり読後感が異なりました。
 普通の自伝では、何か教訓めいたものを得たり、その人の生き方から学ぶ事が多いのですが、これは本当によく出来た短編集のようで、引き込まれるように一気に読み終えました。



真実の人生 ★★★★★
7歳のとき視力を失い、15歳で視力を回復。正規の教育を受けずに放浪を続け、波止場の労働者となる。その後も独学で勉強を続け、49歳のときの最初の著作『大衆運動』がB・ラッセルやハンナ・アーレントなどに絶賛され、「沖仲仕の哲学者」として62歳で大学教授となる。

独学の人である。
波乱万丈の人生とはこういうことを言うのだなと思わせるのだが、決して愚痴っぽくならない楽天的なスタンスで生き抜いていく。その文章はまるで絵本の中の散文詩のように瑞々しい感性に満ち溢れている。

久々にいい本に出会った。
幻惑される、脳が混乱する、仕事は意義あるものではない、という生き方 ★★★★★
「彼」の出生から、前半生を読みながら、アウトサイダー的な視点を
ずーっと感じています。さまざまな人と出会い、さまざまな仕事を行い、
決して同じ場所に安住しない生き方というのは、どんな思想を生み出すのだろうか?

エリック・ホッファーという人は、ある本を読んでいて、その生き様を
知るまで知りませんでした。そこで、さっそくこの自伝を読んでみました。

面白いことに気がつきました。普段読んでいないような、本書のような、
数奇な思索者の詩のような文章を読むと、最初は脳が困惑する、ということ。
それから、「生き方に決まったことなんか、何もない」というような、精神的、
肉体的な自由を手に入れることができそうだ、と感じたこと。

もちろん、ここに書かれた人生は、1900年初頭から太平洋戦争以前であり、今と
は時代も生活も状況がまったく違うことは重々承知である。しかし、
「産業社会においては、多くの職業がそれだけを仕上げても無意味だとわかっている
仕事を伴っているのです。(中略)本当の生活が始まるのは、その後なのです」
(収録のインタビュー)という発言は、グローバル化、自立した個人主義が
注目される今まさにこの時に、根源的な課題を提起しているように思えます。
「仕事とは何か」「仕事の意義は」「ワークライフバランスとは何か」
「学習する個人」「学習し続ける個人」などのキーワードが脳裏をよぎり、
このホッファーというおおよそ世紀前を生きた、労働者、思索者の声をたくさん
聞いてみたい衝動に駆られます。

何者にも縛られない「自由」とは、恐怖、皮肉、悲しみと交換に手に入れるもの
なのか?深い問題を考えさせられますが、彼の生きざまが、とっても魅力的に
見える、そういう自分は、いったい何なのか?そんなことを考えてしまう。
かくも超越した生き様に学ぶばかり ★★★★★
江上剛の小説「統治崩壊」の最終近くの会話で引用されている章句に惹かれてこの本を手にした。「沖仲仕の哲学者」と称され、40代で刮目される本を数々発表していたことに衝撃を受ける。著者は15歳で突然視力が回復してから独学で絶え間なく読書し、諸分野の大学の教科書まで読み進んだという。己の中途半端なかつての大学時代に恥じ入るのみ。40歳までは季節労働者の仕事を中心に放浪生活をしていた過去を主にエッセイ風にまとめている。労働は生活の糧を得るため、自分の仕事は読書し思索することという生き様。俗物的視点から「掃き溜めに鶴」という語句を一瞬想起し、即反省。沖仲仕の安定的生活までに出会った印象的な人びととの関わりと学びが、爽やかに淡々と描写されている。最終章の「私はこれまでの人生で不満を抱いたことは一度もない。」という書き出しに、自伝記述の背骨を感じた。自伝に書き込まれた思索の滴をこの手からこぼれ落ちないようにしたい。死後発刊のこの自伝がエリック・ホッファーとの出会いの始まり。沖仲仕の生活から生み出された著作に遡ってみようという思いが強い。