吉村氏の歴史感覚の源泉を探ることができる
★★★★☆
沢山の歴史小説を上梓している作家はいるが、著者はあたかも鷹のように獲物に食いつく歴史感覚をもっている。徹底的な、周到な取材をもとにいままでの作家あるいは歴史家が見逃している事実を拾い出し、綿密な語り口の中に縫いこんでいる。
「北天の星」では中川五郎治を描いているが、同じ漂流した仲間の久蔵が牛痘苗とその施術をもって日本に帰ってきたにもかかわらず、取調べの役人により無視された事実を掘り出している。「ふぉん・しぃボルトの娘」では稲本イネが医療修行に入った石井宗謙に犯され、ただ一回の成功で高子を生み、その高子も犯されて子供を生んだ事実を高子の残した資料から掘り出している。「零戦戦闘機」の元になる「軍用機と牛馬」では、戦闘機が車で運ぶと傷つくために牛馬で運搬するに至った経緯を取材しているが、半近代的なままでアメリカと戦うになるピエロをみるような悲しいおかしい日本の姿があぶりだされる。
司馬遼太郎の歴史小説は「司馬史観」が溢れ出てくるが、吉村昭の小説は歴史的真実に極力接近して、嘗め回すような筆致で描き出す。事実の持つ重みを強く感じさせられる。吉村昭氏の描いた歴史小説のあとでは、ほかの小説家はさぞ手がけにくいだろうと思わせる。