タイトル通りの紀行文に終わるはずはなく、そこに住む人々や指導者カストロへの感情、キューバという国を通して見たアメリカ中心的世界の歪み等まで、内容は多岐にわたる。対象とは一歩距離を取り、知識人としての姿勢を保とうとしつつも、しかしぐいぐいと引かれていく堀田氏自身の心の動きも感じられて面白い。
今の感覚から見ると言葉も内容も非常に慎重に選びすぎている気もするが、本書が刊行されたのは1966年である。改めて作者の視点の普遍性を感じる。
ただ気になる点を挙げるとするならば、キューバ人へ接近する姿勢が今ひとつ踏み込めていないような気がする。例えば、苦しみの歴史を生き抜かなければならなかったお婆さんに、歴史から受けなければならなかった悲しみの本質を尋ねようと考えるも、お婆さんが「通りすがりの一夜の旅の者には、たとい話して聞かせても、この気持ちはわからぬということを、知っていたのではないまでも感じていた」(p.207)のであろうと推測するばかりで、堀田氏は敢えて問いかけようとしていない。
良識的な作家として、悲しみの領域にズケズケと入り込まない姿勢を保っているかも知れないが、良識を伴うことでキューバ人により深く共感するができるだろうし、もう一つ踏み込むことで著者のキューバ観もより深められたであろうと思う。そんな風に考えられるだけに、何とも残念なのである。