ピアノコンクールの歴史に始まり
★★★★★
ピアノコンクールの歴史に始まり、ピアノコンクールのあり方、
なぜ、コンクールの最小年齢が決まっているか、最高年齢が決まっているか、
ピアニストのプロとしての一生に関わるさまざまな事象と事例を紹介している。
著者が審査員をしたチャイコフスキーコンクールの舞台裏から、
参加者の様子が、こと細かにかかれており、審査員席から眺めているような気分になれる。
ピアノコンクール以外にも、著名なピアニストの代役として待っている人達のこと、
実際に代役から有名になった人など、ピアノコンクールがすべてでないことも紹介している。
ピアニスト業界の全貌がつかめるという点で、わかりやすい。
実際に演奏された曲目や、ピアニストの名前、
コンクール、演奏会が開催された地名などの固有名詞も豊富にあり、
ピアニストマップの様相を呈している。
文章も、音楽のようになだらかで、強弱があり、調和がとれている。
気軽によめるところもよい。
歯に衣着せぬエッセイです
★★★★☆
ピアニスト業界にも及んでいる大衆化の悲喜劇を伝える一種の現代文明論的エッセイ。コンクールの審査員でもある筆者ならではの、きわどいエピソードも豊富で、コンクールの内幕を知るにも格好の一冊。
硬派な国際ピアノコンクール・ドキュメント
★★★★☆
チャイコフスキー・コンクールはピアノ部門だけでなく弦楽器や声楽部門もあるが、この本はピアノ部門に特化していることに注意が必要である。(作者がピアニストなので当然であるが)
それにしても、これが初の著作とは思えないほどの情報量と文章の質に驚く。特に旧ソ連が絡んだ描写は、筆者でなければ体験できなかったであろうことが満載であり、あの時代のロシア音楽事情を知りたい人は必読だと思う。文体は非常に堅く、文学評論を読んでいるような気分になる。その後に出版された軽いタッチのエッセイ集とは別人のようにも思える。旦那様(作家の庄司薫氏)や編集者のアドバイスもあったと思うが、もう少し親しみやすい語り口でも良かったのではないか。しかし、ピアノ音楽について書かれた本として文句なく超一流である。時に辛らつな表現もあるが、すべてはピアノと音楽への愛ゆえなのだということが、しっかりと伝わってくる。
ご本人の演奏に関しては様々な問題があり、第一線のピアニストとしては評価できないというのが本音の人も多いと思う。しかし、日本人ピアニストが世界に出て行く契機となった人でもあり、先駆者でなくては見えない事情なども克明に記されており実に興味深い。
なお、この本が重すぎると感じる人は同じ作者の「ピアニストという蛮族がいる」をおすすめする。変人の多いピアニストたちを、これまた愛情豊かに書いた本である。
二次予選までか
★★★★☆
解説が吉田秀和、しかも(当然)ほめている。すなわち、「筆の立つ」女性の音楽家として、「ピアノの名手であると同じくらい、文章の名人」であると文章をほめ、内容についても(内幕ものとして、ソ連音楽界事情の報告として、人間の歩みの記録?として)ほめている。ピアノはプロだが執筆には素人であるはずの著者にとって、これほど心強い味方はいない。
しかし、「はたして吉田氏は著者を、ピアノの名人だと思っているのだろうか」という不埒な疑問が浮かんだ途端、この賛辞の巧妙さがみえてくる。吉田秀和は国内最高の知名度を誇るこのピアニストの音楽を、どこかでほめていたかしら?また本書の解説で、吉田氏自身の経験として、「ウィットにとんだエピソード」(裏話)を「私はむしろ遠慮したかった」と書いていなかったっけ?等々。
本書は、コンクールの裏事情を生々しく伝えており、読み物としては大変面白い。また、<VIII 「ハイ・フィンガー」と日本のピアニズム>の章は、日本の音楽教育の問題点を浮き彫りにした出色の評論である(何故かこの章は文章としても際だっている)。しかし、私は著者の文章力を、格別優れているとは思わない。上手な素人、または不慣れな才人、といったところである。コンクールでいえば、才能を感じさせるが未熟な若者、といった趣。この時点での著者が、プロの作家たちと文章力で渡り合うには、無理がある。
もちろん、これだけの本を書くことの大変さを、私は知っている。並の人にできることではない。余技としては立派なものであり、内容の貴重さを考えると、本書の存在意義は十分であろう。
音楽好きならぜひ読みたい一冊
★★★★★
この本は、チェルノブイリ原発事故の年、1986年に、モスクワでチャイコフスキー・コンクールの審査員を終えた後、作者が1年以上にわたって雑誌に連載した文章をまとめたもの。’89年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したという作品だけあって、文章は明快で読みやすいし、内容は濃い。チャイコフスキー・コンクールといった格の高いコンクールの内幕の様子をさらしだし、読者の野次馬的な興味を保つ一方で、そういった審査中の複雑な思い、西洋クラシックの歴史やロシアや日本での西洋音楽の成り立ち、現在のアマチュア・ピアニストの氾濫に対する作者の思いにいたるまでも描かれている。特にわたしが感心したのは、西洋クラシックのピアニストである作者が、日本伝統の「舶来崇拝主義」を否定も肯定もせずに事実として受け止めている正直な姿勢。欲をいえば、「女性ピアニスト」としての思いを、もっと深く掘り下げて欲しかった。