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「麻原死刑」でOKか?

価格: ¥1,296
カテゴリ: 単行本
ブランド: ユビキタスタジオ
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OKであってはいけない ★★★★★
非常に面白く読みました。
中でも、弁護人野田正彰氏と大谷昭宏氏、森達也氏の意見には共感する所が非常に多く、心の中で何度快哉を叫んだかわかりません。
結論先にありきのこの司法のあり方が問題なのは勿論ですが、嫌なものは見たくない、触れたくもない、早く死刑にしてしまえば良い、という民衆側の問題もしっかり提示していて、胸のすく思いがしました。

また被害者家族の河野義行氏の「恨まない」というスタンス、また元々ご夫婦で有限の命について語り合い、死生観を共にされていた、ということには感動を覚えました。「肉体の死が全ての終わりではないと思っています」「報復感情でエネルギーを使うのは勿体ない。生きていられる時間は有限――それは言い換えると命――」等々の言葉は、被害者家族であるだけにとてつもなく重く、それだけに(私などが言うのはあまりにも僭越ですが)救われるような思いがしました。

大谷昭宏氏の「警察は警察で被害者対策課をつくり、一方で、被害者担当弁護士というのが目につく。はっきり言って、いやらしいものを感じる。悲惨な事件の場合、山ほどの花の前で被害者や遺族がお線香をあげる。加害者の弁護団の」人たちもテレビカメラの前で花を手向ける。それを見て、あ、やさしい社会なんだなとみんなが思っているというのは、誤解を恐れずに言えば、不健全な社会だと思う。」というのは同感です。
個人的に死刑は早くなくなってほしいですが、それを言うと叩かれるような社会が、本当にやさしい社会であるはずはありません。

このシンポジウムについて「僅か2人の弁護士さんが自力で開催していることに注意を向けてほしい」という大谷氏の発言も印象的でした。
いいえ。NGです。 ★★★★★
こういう良著に対しておすすめ度(星)が高いレビューが少ないのが気になるところだ。

裁判には当事者主義というのがある。民事では訴訟手続の方法であるが、刑事では訴訟形式になる。
反対に職権主義というのは真実の発見に不可避であるとするときのみに発動(適用)されるが、麻原裁判には当事者主義が蔑ろにされ職権主義が濫用されすぎている。裁判長と左陪席書記官が控訴趣意書の提出とその意味を教えるため麻原に弁護人に無断・無立ち会いで接見し、意思の疎通ができるから訴訟能力は問題ないと結論付けた。裁判を進行させたいためとはいえ正当な裁判を受けさせないためのあきらかに越権行為である。
こんなことがまかり通るなら司法制度の破綻と言わざるを得ないだろう。
まさしく宮崎氏が言うように、規範が崩壊している。司法権力が法令を遵守しないなら、我々庶民も法を護る必要などないだろう。私刑の始まりだ。

筆者が思うに、こうなってしまった原因のひとつに憲法を護らないという庶民の無関心があるのではないだろうか?
憲法は権力者を縛るクサリである。このことを強く再認識させられた書だ。
麻原弁護人主催シンポジウム記録 ★★★★☆
 飽きっぽい私がたった一日で読めた程、内容的にはスリリング。かといって単純な死刑反対論ではない。弁護側の精神鑑定書を出した野田正彰氏の巻末の講演記録だけには「死刑廃止論」の論調が見て取れるが、全体としては日本の司法・検察批判である。良い点は発言者の野田、大谷、宮台、宮崎、森の各氏のスタンスが少しずつ違っている点だ。勿論一番熱がこもっているのは直接裁判に関わっている野田氏。特に巻末の「西山鑑定に対する意見書」での筆致の激しさは驚くほど。ただ批判されている当の西山鑑定書が一部しか掲載されていないせいで、論争の客観的な判定は望めない。
 かくも問題点が多い麻原裁判の進行についてはマスメディアがもっと注目して報道をすべきではないだろうか。きっと国民も注目する筈。
提起されている問題そのものは重要。私の答えは「OKではない」 ★★★☆☆
 本書タイトルはもちろん反語的な問いかけで、「なワケないよね」という含意。で、その主張の根拠として挙げられている点を、ザッと思い出せるままに書き出すと、次のようになるだろうか。
1.裁判官が「松本被告に訴訟能力あり」の結論を出すに際して、違法性を疑われる行為があった。
2.現在の松本被告には訴訟能力がない可能性が高い。
3.裁判は「松本死刑」という結論先にありきで、社会の応報感情におもねっている。
4.事件について深い理解に達せぬまま応報感情だけを満たすことは、今後の日本社会における相互信頼感を損ない、マイナスである。
5.オウム事件の全容解明・原因究明は、よりよい社会の構築に貢献する。
 1・2は刑事訴訟法上の問題。3以降は「法とは何か、裁判とは何か」という法哲学にかかわる問題。
 私はオウム事件を、日本の思想状況を一変させた大事件だと考えているし、この社会の一員として事件の当事者たりうるとは思う。しかし自分はもちろん、近親者も直接的被害を受けていない以上、非当事者としての慎みも持ちたい。そういう観点からすると、3以降の議論には完全には説得されなかった。ただ1・2の点については、もし事実なら恣意的な裁判が行われていることになり、重大問題。
 ところで、帯の「『いまはまずい』これだけの理由」というコピーが、どういうスタンスから出ているのかよく分からなかった。真相究明が終わった暁には、松本を血祭りにあげていいという意味なのか?
訴訟能力はあるのか、本当に詐病なのか。 ★★★★★
重い本です。麻原に面会した精神科医の話。最近一部メディアが報じたように麻原の訴訟能力に疑問があることはどうやら確かなようです。

なぜ司法は結論を急ぐのか。裁判は量刑を決めるためだけに行われるのではない。そんなことは百も承知。結局この精神鑑定なるものに100%の客観性を要求するのは不可能なのですから、鑑定結果の解釈は裁判所の「主観」が入る。

大阪教育大付属池田小の犯人の精神鑑定も例示され、訴訟能力・精神鑑定について大いに考えさせられる書。「麻原死刑」でOKか?本書を読んで疑問を抱く読者はわたしだけではないはず。