日韓併合により南朝鮮の「日本国民」がサハリンで戦後置き去りにされた
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ロシア南下政策の防御壁にしようとアジア初の帝国主義国の日本は、日清・日露戦争の戦果として大韓帝国を併合した。李王朝最後の国母・閔妃を在韓日本公使が首謀者となり、暗殺したりする政策の延長上に施行されていく植民地政策は、日本国民としての同化政策ではなく、あくまで朝鮮の文化、経済を破壊しながらの隷属化の推進であった。日本人は金貸し業で朝鮮人の土地をまきあげ、安い労働賃金で雇用する。
朝鮮人の4人に1人は自分の郷土を離れざるを得なくなる。ましてや、太平洋戦争の進行に伴う労働力不足に対処するため、多くの朝鮮人が強制的に徴用された。
サハリンの炭鉱でも、多くの南朝鮮の人が炭鉱労働者として労働に従事した。同じ仕事をしても日本人より安い労賃、厳しい環境の中で望郷の念はやみがたいものがあったことであろう。
日本の敗戦とともに彼らは日本人でなく、戦勝国民になって喜んだのはつかのまで、日本政府は彼らを日本人として処遇せず、帰国は埒外として放置した。すなわち棄民である。サハリンの支配したソ連も韓国を国家として認めず、北朝鮮への帰国しか認めなかった。南朝鮮出身の人々の韓国への帰還の希望は無視される。サハリンでの家族関係も引き裂かれる。