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「南京大虐殺」のまぼろし (WAC BUNKO)

価格: ¥10,702
カテゴリ: 新書
ブランド: ワック
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やはり「まぼろし」なんですよ ★★★★★
もともと鈴木明という作家が書くものが好きで読んできたら、この本に出会った。したがって所謂どっちかの派閥に属しているわけではない。そのことにはあんまり興味がない。話が飛んでしまうが昔々(40年以上前)朝日新聞に掲載されていた「カナダ・エスキモー」という連載物をわくわくして読んだ記憶がある。その連載を書いていたのが「本多勝一」でその後この人の作品も結構読んだ。ただ何時の時点からか・・つまり中国ものを書き出してから「ちょっと変だな」と思った記憶がある。この「ちょっと変だな」という啓示とこの本の出だしの「ちょっと待てよ」とは奇しくも同じだと思う。なにか整合性がとれないのである。この整合性の解明に乗り出したのが本作であると考えている。あったかなかったかという単純でないぼやっとしたものがまさしく「まぼろし」として存在しているのである。鈴木明という人が書きたかった本質を理解して読まないと下らん論争だけが残ってしまう。
「南京大虐殺はまぼろし」ではない ★★★★★
この書籍が出版された時代を考えると、取材や資料の収集は容易ではなかったと思います。当時の世相や時代背景も考慮した上で、このようなノンフィクション書籍が書かれたのは凄いことだと思います。ノンフィクションは、著者が感情移入し過ぎると客観性を欠くし、中立性を保とうとし過ぎると著者の主張が伝わらず醍醐味に欠ける分野だと思います。この書籍は、「南京大虐殺」という扱いにくいテーマを「客観性」と「著者の主張」のバランスを絶妙に保ちながら書かれていると思います。残念なのは、「南京大虐殺のまぼろし」という書名がセンセーショナルであったために、色々な人が自分の主義主張に都合の良いように解釈してしまっているのではないかと思われる点です。書籍が書かれた時代背景も十分踏まえた上で、偏りのない姿勢でこの本を読むと、「南京大虐殺」への理解がより深まると思います。
「バイブル」は読まれない。本書もまず「まぼろし派が熟読すべき」の★4個 ★★★★☆
世の中には「読者に恵まれなかった」著というものがある。ヒトラー等に愛されたが故に今尚その作品の演奏・上演に様々な足かせのかかる大作曲家の著書への評なのだけど、全く次元は違うが或いは本書もその類かもしれないと思った。
書物というもの、やはり実物を通読して見ねばならないものだとも、強く思った。

著述家としては処女作といって良い第1章を読んだだけで著者のノンフィクション・ライターとしての(少なくともこの時点での)技量がわかる。一つは論理的思考の拙さ、第二にペンより先走る「感情」である。
逆に言えば、その取材力は一定水準にあるし、一部に改変があるらしいが収集した証言等は貴重である。
敗戦直後の日本軍の証拠隠滅の記録は貴重だし、1例だけ挙げるならば本書213頁の「捕虜の始末」の件。著者の文を除くと実にリアルな記録である。

そういう著者のある意味で素朴な動機が他からの力により増幅される過程も明らか。第2章は問題の「事件」の二将校の最期すら知らずに「処女作」が執筆・公表されたこと、また既に論争があって、その渦中に投じられた状況を恐ろしいほど率直に語っている。
で、結果的に章を重ねるにつれ、二重、三重の苦悩の中で語られた証言等に含まれる、おそらくは「真実の一端」に関わる『ことば』とそれを追う著者の文とのギャップが深くなっていってしまう。

本書本文だけの話でない。単行本化時、文庫本化時のあとがき、さらには今回の復刻にあたって添えられた解説文が、著者自身が「『南京大虐殺はまぼろし』ではない」と明言し、巻末で数万の犠牲者を推定していながら、「事件」そのものの存在を否定する「まぼろし」派のパイオニア的存在に祭り上げられる過程を暴露する。

著者が哀れにも思えるが、やはりその根本原因は「中国の奮闘を祈る、日本の奮闘を祈る…」の言葉を残して刑場に散った将校の精神に程遠い、狭量な文章を公にして恥じなかった著者の貧しさだ。
戦闘行為で常に日本刀を振り回すのか ★★★★☆
本多勝一著「中国の旅」朝日新聞社1972年刊(前年中国にて取材・新聞発表)の南京大虐殺報道(「百人斬り競争」など)に疑問を呈したのが鈴木明だった。「百人斬り競争」では二人の日本人元少尉が、国民党蒋介石政権によって南京で裁判にかけられ、有罪判決(死刑)を受けて銃殺刑に処せられた。南京事件の処刑者は、谷寿夫元中将(第六師団長)と彼ら二人、そしてもう一人(三百人斬り)の四名しかいない。

「東京日日新聞」(毎日新聞の前身)1937年11月30日~12月13日の紙面には、二人の少尉が南京への進軍中に、日本刀で何人の敵を斬ることができるか、という競争を行ったという武勇伝を載せている。そしてこの記事を収録したのが、ティンパーリー著「WHAT WAR MEANS:The Japanese Terror in China」(London,1938)だ。東京裁判にも大きな影響を与えた書物である。そして南京の裁判では、”「大虐殺」を立証する重要証拠として判決書に特筆され”ている。北村稔著「南京事件」の探究P067(文春新書)2001年刊

さて、被告となった二人の元少尉は、この件は冗談で語ったこととしている。それを聞いた新聞記者が武勇伝に仕立て上げた箇所も確かに存在するようだ。一方で、二人は日本刀で人を斬ったことを否定してはいない。ただし、あくまでも「正規の軍事行動」に伴って発生したこととしている。しかし通常の戦闘において、日本刀を振り回して敵と切り結ぶ場面が実際に数多く存在したのだろうか。「捕虜や非戦闘員」を対象とした「据えもの斬り」は1件も含まれていないのだろうか。両元少尉が自らの名誉を傷つける行為をしていないことを祈るのみである。

ペンの暴力 ★★★★★
タイトルに「南京大虐殺」とあるように、南京事件にまつわる記述も大変価値があるが、本書はむしろ「100人斬り」事件を中心に書かれたものだ。「100人斬り」とは、日中戦争での上海から南京に至る行軍において、2人の日本人将校が、どちらが先に日本刀で100人の中国兵を斬れるか競争を行った、とする当時の新聞記事に端を発する事件だ。当該の2人の将校はこの新聞記事を証拠とされ、戦後、中国の軍事法廷によって戦犯とされ死刑となった。その後この事件は、1972年頃になって、本多勝一の『中国の旅』によって日本軍の残虐行為として蒸し返えされ、大きな論争を巻き起こすことになった。しかし、本多氏の残虐行為説(捕虜を殺害したなど)は根拠に乏しく、今日的な視点から見れば明らかに偏向報道の類である。本書は、この新聞記事が捏造であったことを、当時の関係者への丹念な取材からほぼ完璧に論証した大変価値のあるノンフィクションである。この功績によって著者は、大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞している。

この事件が今日的な問題を含んでいるのは、2人の将校の遺族が存命中で、現在も、本多勝一、朝日新聞、毎日新聞を相手取って、名誉毀損の訴訟を起こしているからだ。しかし、東京地裁、東京高裁では、訴えは棄却されており、司法サイドの政治的な配慮を伺わせる判決は大きな疑問である(詳しくは、類書を参考にしていただきたい)。

ペンの暴力という命題を考えさせる大変意義深い作品である。