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「南京事件」の探究―その実像をもとめて (文春新書)

価格: ¥714
カテゴリ: 新書
ブランド: 文藝春秋
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   南京事件については、今でもなお大虐殺説から、いわゆる「まぼろし」説まで、さまざまな論争が繰り広げられている。その一つの原因は、事件を確定した南京と東京の戦犯裁判が戦勝国主導のきわめて偏ったものであったことにもよるが、それぞれの主張に感情的なものが多かったことも関係しているだろう。
   本書は、南京による大虐殺が「あった」のか「なかった」のかを性急に議論するのではなく、「南京で大虐殺があった」という認識がどのような経緯で出現したかを順序だてて確認したものである。南京事件が初めて世界に発信されたのはイギリスの日刊紙「マンチェスター・ガーディアン」の特派員・ティンバーリーによる書物だが、それは実際には中国国民党中央宣伝部の意を体して発行されたものであり、巧妙な戦時外交戦略であった。著者は、徹底した史料探索によってその事実を確認し、さらに南京事件の真実に迫っている。
   当時、南京において日本軍による相当数の捕虜、あるいは民間人の殺害行為が行われたことは覆い隠せないことであるが、「30万人大虐殺」はすでに戦争中から準備されていた戦犯裁判のシナリオに沿って、日本の戦争犯罪を告発するためのハイライトとして作り上げられたといわざるを得ない、と著者は結論づけている。もちろん、だからといって日本軍の行為が許されるべきものではないが、ひたすら謝罪を続けるのみが「戦争責任」の取り方であるかのような戦後の日本外交のあり方を見るとき、歴史に対する正確な事実認識を持ち、それによるきちんとした申し開きをすることは国際社会で生きていく上での必要最小条件であるとの思いを強くせざるを得ない。(杉本治人)
肯定派にも否定派にも組せず、冷静にこの難題にとりくんでいる姿勢に好感 ★★★★★
 東京裁判、南京裁判で事実認定された「南京事件」について、裁判で証拠採用された資料を丹念に検証し、1937年、日本軍が南京を占領した当時の南京の街の様子を、政治的立場や歴史観、イデオロギー、戦時宣伝などのバイアスを排除し、あくまで常識的な風景として理解しようとする試みである。
 結論として、裁判で認定されたような30万人の虐殺は「常識的に考えて」なかった。しかし2万人にのぼる捕虜の処刑はあった。また統制の乱れた日本兵による強盗、強姦、放火も戦時の常として常識的に考えられる範囲では、あった、と著者はいう。
 そして南京占領時の多数の事件は、軍国主義による常軌を逸した暴力の結果ではなく、ごく普通の日本人が常識的風景のなかで起した行為であり、それは「成り行きで物事を無原則に処置してしまう」という日本人の行動パターンがなせる業である、と喝破する(p106-107)。
 肯定派にも否定派にも組せず、良識ある市民の常識、という新しい観点から冷静にこの難題にとりくんでおり、全体に好感が持てる。良書といってよい。
日本政府と軍部の責任はどこに消えたの? ★★☆☆☆
著者の主張する話の中身は解ったんだけれど、どうも、ちょっと違ってんじゃないかな。
本書のこの理解って、何か1950〜60年代の南京事件解釈に戻っちゃったんじゃないかって気がするよ。
その当時、「南京事件」というのは、それ行け、やれ行けと、無理な南京急攻を要求された日本軍将兵たちが、食料さえ満足に補給されない(不足したのは副食物と特に燃料。米だけは不十分でも支給された)ため、現場の判断で勝手な徴発をはじめたことから軍規が崩れてしまい、略奪破壊や暴行強姦、非戦闘員殺戮が横行したと、そういう風に理解されていたように記憶する。
ところが、その後、事件研究がそれなりに進んで、もっと実は上のほう、中島師団長や佐々木旅団長などの将官クラスや軍司令部の幕僚連中もみな関与し、かなり組織的に武装解除した捕虜を殺戮し、非戦闘員を敗残兵と区別もせず処刑していた事実が明るみに出てきた。
むろん虐殺被害者30万人なんてのは、集会の「主催者発表」みたいなもんで信用に足る数字ではないし、今回、著者が明らかにした点も評価するについては吝かではないが、本書が結論とするところには、やはり相当に違和感を持たざるを得ないよねぇ。
蒋介石の国府軍なんか一発痛い目を食らわしてやれば、へなへなと腰砕けになり日本軍の軍門に降ると甘く考えた陸軍首脳部・幕僚層、プラス日本政府閣僚の情勢判断の誤りが、中国側の思わぬ強烈な抵抗に出合ったことから、吸い寄せられるようにして南京事件を引起こしてしまったと見るほうが正解ではないかと思うんだけれど、僕は。
「探究」ってのには遙かに足りない書 ★★★☆☆
著者の政治的な神学論争を避けたいとした気持ちはわかるが、やはりすでに
著者のスタンスは書く前から決まっていたのだと思う。というのも、

1.取り上げた資料を読んで自明でないコトを推論する部分がかなり多い。
  その推論が、なんとなく「まぼろし派」寄り。
  (例えば、男性器の切断という「残虐行為」はどこの国でもあること、と
   いうのが"常識"ではないのか? それとも欧米にも宦官がいたの?)

2.統計が操作されていると指摘しているところが間違っている。
  (当時の統計操作が正しく、著者に従えば犠牲者数が原理的に過小に出る)

といった具合。
こんな誤魔化し(おっと失礼、わざとじゃないかも知れませんよね)は
"大虐殺"派を元気づけるので、やっぱりやめてほしかった、と感じる。

ついでに、日本側の資料が全然ないのも気になる。言い訳だと指摘されたくなくて、
という理由付けは、<日本側には虐殺があったことを示唆する資料はない>との、
間違った印象づけの原因になる。

それから、ゴランツ社(『紫禁城の黄昏』も出版)の性格についての説明や、
欧州における"左翼"の意味合いについての解説がないのも不可解。
"左翼"なら蒋介石の政権に協力するだろうってのも、まるで合理性がない。
日本憎しだったのは、中国での利権を日本に奪われたくない他の列強各国も
同じだったので、そもそもここで"左翼"とかを持ち出すのは場違いだ。

結論としては、何としても虐殺の文脈的証拠は出ないのだけれども、死体の数は
これほどかな、と言う数字を挙げているので、どうも著者は虐殺はあったという
スタンスらしい。それならスパッと自分の立場を鮮明にして、まわりくどいことを
書かなければいいと思うのだが、言い訳めいた文章がダラダラ続き、全体に
非常に読みにくい。
そのようなわけで、著者が目指したかったという、大虐殺のイメージがどのように
形成されたか、を明快に解いている本でもなく、何となく国民党の謀略だったのかも、
という印象づけに終わっている。しかも、南京が平穏だったと強く主張する割に、
何万という死者の数は是認しているので、何の本だかすら、もうわからない。

やはりまず南京事件に対する事実認定をしてからでないと、事件がどのように
認識されたか、の探究など出来はしないのである。「事実」と「認識」のズレを
決めないと、その評価が出来ないので、当然のことだし、そもそも誰の「認識」かを、
国民党公式見解、他地域の中国国民、英国のメディアなどと具体的に絞らなければ
記述できなくなってしまう。

まとまった本というものをものするには基本的な作業があまりにずさんなので
★にしたいが、出てくる資料には面白いものもあるので、なんとか★★★。
加えて、南京事件の本を読んだことのない人には、サッパリわからないだろう。
南京事件―「虐殺」の構造 (中公新書)くらいは読んでから手に取った方がよい。
歴史学と、筆者の限界 ★★★★★
この本は、初版に、その後の南京事件関連の論争史を加え新版としたもの。大量の参考文献
や歴史学に忠実なのはいいが、なぜそれが起きたのか、という問題を深く掘り下げることが
できなくなっている。南京に至る道は、日清戦争よりも前から考察しなければその回答を得
ることはできない。社会学、心理学と連携してこの事件を考察した本が出ないのは非常に不
可解である。この本の価値は、一次資料に忠実でありながらもなおこの事件を否定し得ない
という筆者の誠実な態度である。また、4万人だとか30〜40万人だとか争っている(またそ
れゆえ無かったという馬鹿までいる)ことに意味が無いことを述べている。神の視点は誰も
持てないのだから、どこで何が起きたか知るには限界がある。くしくも、筆者は、原爆が
広島に落ちたのはまぼろしである、とか2万人(厚生労働省によれば30万人)しかしなかった
と言われたらどう思うか、と読者に反問しているが、その通りであろう。なんと読んでも
構わないが、南京事件で最低に見積もって、純粋な民間人のみで数千人を理由なく殺して
いる。興味深いのは初版のあとがきと、新版のあとがきで、著者の述べていること、思想
が正反対になっていることだ。中国の情報操作がどうのなどと稚拙なことを言う輩がいる
が情報戦を行なうとして、事実を捻じ曲げるのは、我々はやるべきことなのか?著者に
いうが、思想や信条によるバイアス、結論の先取りのあとで事実を解釈すること、時代拘束
性を歴史学が免れ得ないのは、イロハのイであり、この本にもしっかり伺われる。歴史学
という狭いフィールドのみで、ある事象を把握することはできない。
なるほど、「大東亜戦争」が存在しなかったのだ! ★☆☆☆☆
 本当に、目からウロコが落ちました。この本を読んで、日本がやったとされるあらゆる行為が、実は、「きょーさんしゅぎしゃ」または「国民党」の「インボー」だったとわかりました!今までは騙されていたわけだ。著者の挙げる理由は簡潔にまとめれば、彼らはナショナリスト(つまり右翼?)だからなのである。そうですな、共産主義者が右翼だなんて、非常に理解しやすい説明じゃないですか?

 それで、いわゆる「大東亜戦争」も実は、存在しなかった!!我が国の「歴史研究」があそこまで進んでいたとは、驚きだ!さらに、ここで数多くの「知識人」のリビューを拝読させていただき、現在の日本がどれほど世界のために貢献しているかは、よく分かりました。