たとえば永遠の子どもと呼ばれる3人の天使は、ハイソックスにランドセルや運動着姿という普通の少年のコスチュームだけれど、よく見ると顔や体つきが大人でギョッとさせられる。こういう登場人物たちの斬新な現代性と、背景の樹木や山や空の描写に漂う、ドイツ浪漫派絵画を思わせる神秘性が、とてもよく融合している。ゾーヴァが舞台美術を手がけた1998年フランクフルト歌劇場での「魔笛」は、終了後観客の賛辞の歓声と足踏みが地鳴りのようだったらしい。この絵本は、その上演のためにゾーヴァが描き下ろした、舞台美術と衣装の原画をもとに構成されている。
「魔笛」は、太陽の王が死んだ後の、夜の女王の闇による世界支配を、若者が愛と英知と忍耐をもって打ち破り、再び世界に朝を取り戻す、光と闇の闘争物語。王子タミーノが魔法の笛に助けられながら、沈黙、火、水の試練の後に夜の女王の娘タミーナと結ばれる愛の物語であり、主人公にいつも伴走している陽気な鳥刺しパパゲーノが、パートナーのパパゲーナを獲得し子どもをたくさん産む幸福物語でもある。
本書での「魔笛」は、ある夏の夜、森の中の小さな宿でタミーノが大蛇に襲われる夢を見て目覚めるシーンに始まり、大きく開いた窓から朝日が射し込んでいる同じ部屋のシーンで終わる。朝のベッドにはもう誰もいない。すべては旅人タミーノの見た一夜の夢だったのか。大人も十分に楽しめる1冊だ。(中村えつこ)
『魔笛』には、大雑把に言ってしまうと、基調となる話がふたつあるように
思います。
王子タミーノが試練をくぐり抜けて、パミーナ姫と結ばれるというのがひとつ。
もうひとつは、鳥刺しパパゲーノがよく言えば天衣無縫、悪く言うとかなり
いいから加減な行動をしながら、パパゲーナと結ばれるというもの。
身分が違うふたりの男が困難を乗り越えて、それぞれのやり方で幸せを掴むと、
そういう話です。
で、このふたつの話のどちらにより魅力的な音楽をモーツァルトが付けている
かというと、それはパパゲーノがパパゲーナと結ばれるに至る後者のほうでは
ないだろか、というのが私の感想。。パパゲーノが歌うアリアや、パパゲーノと
パパゲーナの二重唱など、生き生きとしたモーツァルトの音楽はとても魅力的。
それに比べると前者、王子タミーノの性格やなんかは堅苦しく生真面目すぎる
嫌いがあって、それはモーツァルトの音楽からもそのように感じます。
そして、ゾーヴァが絵を描いたこの本では、タミーノ王子が試練をくぐり抜けて
パミーナ姫と結ばれる、それをメインにしています。ある意味、『魔笛』という
作品の正統的な解釈でしょう。
でも、パパゲーノのキャラをとても魅力的に描き出したモーツァルトの音楽、
そこにこのオペラの一番の魅力を感じていた私には、この本での捉え方に違和感
を覚えました。私のイメージとは違ってたというか。とりわけガクッときたのは、
パパゲーナを描いた絵を見た時。茶目っ気のある溌剌とした若い女性と、そんな
イメージを持っていたので、「うーん、これはちょっとなあ……。もう少し、
若々しく描いてくれたらよかったのに」と、かなりガックリきました。
モーツァルトの音楽の、なかでも好きな作品なので、自分の中で事前に描いて
いたイメージが強すぎたんでしょうね(苦笑) 殊にパパゲーノとパパゲーナの
ふたりにとても親しみを感じていて、モーツァルトの音楽から勝手にキャラの
イメージをふくらませていたので、それからすると、「うーん、もうちょっと
このふたりのこと、魅力的に描いて欲しかったんだけどなあ」と、そこが
物足りなく感じられました。
面白いなと思ったのは、三人の童子が学校に通う少年として描かれていたところ。
ザラストロ(パミーナ姫の母である夜の女王と敵対するグループの長)の神殿が、
ハリー・ポッターの魔法学校みたいに描かれていたのも印象に残ります。
2004年5月27日付けの朝日新聞夕刊誌上「どくしょ応援団」の中で、
石田衣良さんが「私のお気に入り」として本書を挙げていらっしゃいました。
ミヒャエル・ゾーヴァの絵は、ネットの「幻想美術館」というサイトを見る
限り、かなり惹かれるものを感じます。そのうちに、『ゾーヴァの箱舟』と
いうイラスト画集を見てみよう。
ゾーヴァがオペラ「魔笛」の舞台装置の演出を手がけた時に、
資料として描いたものを本にしたそうです。
ゾーヴァの演出した「魔笛」!見たかったなぁ・・・!!