インド生まれの著者、キラン・デサイのこの処女作は、ひどい干ばつが終わるころにサンパトが生まれるところから始まる。暑さと空腹でちょっとおかしくなった母親クルフィが考えるのは食べ物のことばかり。
「彼女のお腹がせり出していくにつれ、ますます異常なまでに、食べることを夢見るようになっていった。家は縮んで見えた。そんな彼女の周りには、見渡す限り白熱の夏。こんな風景はもううんざり、とクルフィは戸棚の奥から古いクレヨンの箱を見つけだし…、絵を描きはじめる…。怖くなった夫と義母が、彼女とお腹の赤ちゃんの気に障ってはたいへんとばかりにひっこむと、ヤギの頭を切り落とす料理人の行列の絵ができあがる」
サンパトの父親、ミスター・チャウラは「痛い、苦しいと言い出したり、急に泣いたりやる気をなくしたり、奇妙な行動をする人」が嫌で嫌でたまらない。彼が怖いのは、「そういうどうにも手に負えない、泥にまみれた生活や、べたべたくっついて厄介な人間くささ」。この、厄介な人間くささを嫌う傾向が後々、ミスター・チャウラに災難を招く。息子が、お天気屋で、良識もなければ気力もない大人に育ってしまうという災難を。
上司の娘の結婚式で女装したサンパトが即興で裸になって踊りだし、郵便局をクビになると、ミスター・チャウラのモヤモヤはついに頂点に。自宅謹慎させられていたサンパトは家を抜け出し、町の外の荒れた果樹園のグアヴァの樹で暮らしはじめる。最初、「サンパトはおかしくなってしまったのだ」と家族や町の人たちは考えていた。そんなあるとき、サンパトは身を守る方法を思いつく。郵便局で他人の手紙を読んで過ごしていたサンパトは、自分につらくあたった人たちのとっておきの秘密をばらし、自分はいかにも千里眼の持ち主である、と信じさせる。「家族に聖者がいれば一儲けできる」とミスター・チャウラが思いつくまで時間はかからなかった。こうしてグアヴァ園はあっという間に聖者巡りの人気観光スポットに。
グアヴァの樹に聖者を登らせ、拝金主義の父親と、食欲異常の母親とハングリー・ホップ・クォリティ・アイスクリーム売りの青年と、それに恋する妹をちょいと加えれば、胸のすくコメディのできあがり。暴れんぼうで酔っぱらいの猿の群れ、サンパトのペテンを暴こうとするジャーナリスト、地方衛生局員で心気症のいかがわしい3人組、軍隊の長、大学教授、猿問題の解決に乗り出す人たち、みんなそろえば、これがほんとの「大騒ぎ」だ。キラン・デサイのこの愛と信仰と家族関係を描いた抱腹絶倒の物語は、とにかく愉快で秀逸。他のインド人作家の英語による作品(『The Moor's Last Sigh』、『The Mistress of Spices』、『Show Business』など)を彷彿とさせる雰囲気も持っている。