【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:久司道夫/著 日本CI協会/編 出版社名:三五館 発行年月:1997年07月 関連キーワード:ゲンシ テンカン ト イウ ヒント ニジユウイツセイキ ノ チキユウ サイセイ カクメイ げんし てんかん と いう ひんと にじゆういつせいき の ちきゆう さいせい かくめい、 クシ,ミチオ ニホン/シーアイ/キヨウカイ くし,みちお にほん/しーあい/きようかい、 サンゴカン サンゴカン 2966 さんごかん さんごかん 2966 日本の実験では、炭素(C)から鉄(Fe)ができた!ロシアでは、鉛(Pb)から、白金・金・銀・銅の混合物が誕生!!いま明らかにされる元素が別の元素に変わる「原子転換」の真理。 序章 宇宙の秩序と陰陽原理第1章 物質とエネルギー第2章 二一世紀を拓く新錬金術第3章 原子転換の法則第4章 生体の中の原子転換第5章 現代にかなう陰陽原理第6章 誰にでもできる原子転換終章 社会における原子転換
な・る・ほ・ど!
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歴史を振り返れば「常識が或る日突然引っ繰り返る!」って場合は案外よくある。
世の中には「当たり前」と思われている事が、実は専門家でさえ深くは理解できてないという場合が結構有るのだ。人々はその専門家が言うのだからと、彼らの言う事を鵜呑みにしているに過ぎない。人々が「当たり前」と思ってるものでさえ、それが実は当たり前でない場合があるのだ。
『常識を疑う』これは科学を学ぶ上で欠かす事の出来ないこと。一般的なものが間違ってる場合がある。常識が間違ってる場合がある。教えられた事が必ずしも正しいとは限らない。現在どうして慢性病が蔓延し、これに対処する術を持たないのか。医学は発達していると言うが果たしてそれは本当だろうか?「治る、治る。」と言われている病気が何時まで経っても治らないのはどうしてだろうか?それが治ったとしてもまた新たな強力な病気が出てくるのは何故だろう?などなど…それは根本が間違っているからだ。その根本とは?
様々な事象・現象の本質・原因を追求していくと、見えてくるものがある。そこには「食」というものがある。昔の人々が何故病気になりにくかったのか。今の人はどうしてなりやすいのか、など。その根本的違いは、環境の違い、食生活の違いが最も大きく作用している。また「便利」になったが故に、沢山の物に溢れて何が最も大切かも分からなくなってしまったのだ。その事はマクロビオティックの推奨者・久司道夫氏がアメリカで広めている。その教えの元となったのは桜沢如一氏だ。その一番大切なことから導き出された中の一つがこの本。まだ解明されたわけではないが、その糸口にはなるだろう。陰陽の原理を完璧に理解できるならば、ひょっとしてここに書かれてある事が尽く実現できるかもしれない。常識を疑ってみて、真っ白な心で真実のみを追究していけば、今人類が直面している様々な問題もこれで解決できるかもしれない。
マクロビオティックの基礎
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本書で久司氏はマクラビオティック理論のベースになっている陰陽と原子転換を説明している。昔の人は生野菜をそのまま食べると体に良くないと言っていたが、その疑問が本書で解消された。
また師は後の著作で牛乳を飲まなくても、カルシウムは十分摂取できると説いていたが、それも本書で納得できた。
マクロビオティックを学ぶものにとって、本書はサブテキストとなる一冊だと思う。
陰陽のたとえ話ではなく実験的根拠を示せ!
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この本は現代のマクロビオティック界の重鎮である久司道夫氏が、桜沢如一の陰陽無双原理に基づいて原子転換にまつわる現象を解説したものと言えるだろう。
その語り口はソフトで、初めてこうした世界に触れる人には新鮮で理解しやすい著作といえる。しかし、そこに取り上げられている原子転換の問題についてはおおらかに受け取ることのできない記述が散見される。
本書の第2章以降において、著者はルイ・ケルヴランの生物学的元素転換、桜沢如一がみずから行なった放電実験、そして最後には水野忠彦教授の常温核融合を取り上げている。これらの実験と理論を全てPU原理に基づく陰陽のまな板に並べること自体、少し問題がありはしないだろうか?
また植物のクロロフィルに含まれるマグネシウムが動物の体内ではヘモグロビンの鉄に転換されると主張しているが、これはマグネシウムと二つの酸素が結合することによって生じるという。しかしそれではニッケルが生じることになるのだが、「1秒以内にニッケルからコバルト、そして鉄に転換する」といともたやすく述べている。いったい何を根拠にそのような多段階の核反応が生じるのか、その実験的・理論的根拠はひとえに元素の陰陽だけである。これではマクロビオティックの信者さんしかその言葉を信じることはできないだろう。
ケルヴランや常温核融合を権威主義的に利用することでは道は拓かれない。むしろいまなお研究を続けている人間にとっては迷惑な著作である。