50代・60代の為の恋愛小説家の作品は良い。
★★★★★
藤田宜永氏の著作を読んだのはこれで2冊目だが、この徹底した中高年の恋愛は独特の味わいと、しっとり感で引きこまれ、とても興味深い作風だ。逆に言うと、20代、30代の読者には解り得ないところが多々あると思う。登場人物は50代前半の会社員、経営者、自由業や早期退職組かリストラ組といった中年だ。「そろそろ老年」どころか、心身ともにまだまだ「男」であり、恋愛にのめり込む情熱は青年時代と何ら変わらない。それが今の50代、60代だ。本書は6編からなり、第1編「土鍋」は、妻子ある53歳の電子部品メーカーの社長と、若い女性との関係は3年半。第2編「封を切る」は、大学で英米文学を教え、また小説の翻訳を行う50代半ば過ぎの男と、昔の恋人、その友人との間の運命のいたずら。第3編「修羅の狭間」は、倒産に追い込まれた不動産管理会社の社長と、西麻布のショットバーで出会った29歳の女。第4編「残像」は、製薬会社の総務部長で定年退職になった還暦の男と、彼の親友に嫁いだ恩師の娘。これも運命のいたずらで辛い。第5編「不在の女」は、フルート奏者と、パトロンの食品輸入会社の女社長の孫娘との恋愛。第6章「赤心」は、支店長にもなれず50歳で銀行を辞め、大手の精密機械メーカーへの再就職先でも専務と合わずに退職、離婚している53歳の男と、古民家風の小さな温泉宿の女将。一夜の後の悲しい結末。いずれの作も恋愛自体はいいのだが、やや違和感を覚えたり、不満に感ずることは、男女の組合せが50代と20代という設定である。中高年の恋愛というmotifは私なら相手の女性は同じ年代、或いは少なくとも40代程度までの女性との絡みにし、大人、熟年の恋物語にしたい。恵まれた収入や立場の中年が、娘のような若い女をお守するような甘い恋愛にはあまり興味がない。