著者の文章構成論とは、「余計なことは書くな」、「書けそうもないことは題材に選ぶな」、そして「自分が書きたいことよりも人が読みたいと思うことを書け」、です。
これは文章を書くときにはあれもこれも書くのではなく、いかに選択し、そして捨てるべきを考えるかということです。
舌足らずのところはないか。もしくは書かなくても良いことまで書いていないか。それを吟味しながら推敲していくことこそが「書く」という営みなのです。本書はそうした取捨選択について具体例をまじえて実に分かりやすく解説している良書です。
ただしいくつか著者の主張に首をかしげる点がありました。
本書は生活綴り方運動を否定的に見ていますが、私自身は小学校でその運動の洗礼を受けたクチです。確かに本書の目的はエッセイやコラムの書き手を養成することですから、生活綴り方運動の作文論とはそりがあわないのでしょうが、生活綴り方運動の意義は確かにあると思う私には、かくも全面的に否定する気にはなれません。
また、紅白歌合戦のことを「人間を男か女かでグループ分けすることには根拠がない、根拠のない区別は差別だ」と記した末に「アメリカではとても実現しない番組」(150頁)と書いています。しかし「アメリカでは」という修辞は感心しません。アメリカが正しくて日本はおかしい、とハナから決めつけるのは無邪気すぎます。第一、アカデミー賞にも男優賞と女優賞の区別はあります。
自分の都合の良い事実だけ挙げて論理展開するのは「読ませる技術」ではない、という一項目が必要だったと思います。
「うまい文章を書く秘訣はないが、まずい文章を書かないコツはある」という帯の言葉は魅力的だが、著者の指導は厳しい。普通の文章読本は読後に何か文章を書いて試してみたくなるものだが、本書を読み終わると文章を書くのがこわくなる。何か書こうとすると、「それは、書く必要のないこと、書いてはいけないことだ!」という著者の叱責が聞こえるような気がするからである。
中でも「うまく書けそうもないことは書いてはいけない」「自分が書きたいことを書くな、人が読みたいことを書け」との著者の指摘は厳しい。こんなにダメ出しされたら何も書けなくなってしまいそうだが、カルチャーセンターの文章講座に来るような人には、このくらい言わないといけないらしい。
おまけに、物書きに厳しいだけでなく「読者は嫉妬深くて猜疑心が強くてあげ足取り」と読者にも厳しい。
もちろん、厳しいことを言うだけあって、ちょっとひねったユーモア満載で読者をひきつける。「私は生まれついてのおっちょこちょいで」みたいなことを書くのであれば、「天ぷら鍋を火にかけたまま外出して、新築のわが家を灰にしてしまったことがある」くらいの話でないと書いてはいけない、と著者は言う。そして、つまらない文章の自己卑下は自己讃美の枕詞にほかならない、と結論する。
笑っているうちに読み終わってしまう、とっても深~い本である。