534という名の牛
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夕食は何がいいかな?という単純な問いがこの比較的大著を産みます。私たちの祖先は雑食動物として何を食べるべきか試行錯誤してきた、今私たちはスーパーマーケットにあふれる商品を目にして何を食べるべきか再び迷う…著者はアイオワの大規模集約的トウモロコシ農場、ジョエル サラティンが経営する自然な生態系を模した多面的農場などの手伝いをしたり、密飼いされる牛を取材するために534と名づけられた牛を飼ってみたり、猟銃免許をとって狩猟採集を試み、それぞれで得た野菜や肉で料理して食べます。今や一大市場となったスーパーマーケットのオーガニック商品が抱える矛盾についても考察されています。環境と食、農業についての問題をルポした名著としては日本でも古くは有吉佐和子の『複合汚染』などがありますが、この本の現代性はたとえば「動物を殺すこと」についての倫理的かつ哲学的な考察があることです。動物を痛みを感じない機械とみなす考えの現れである534(その描写は淡々としているけど痛切)と、動物を殺したくないための菜食主義、のどちらにも反駁しながら、進化論の発見のもとになった人為的淘汰にも触れながら、中道をもとめる考察はとても興味深いです。たとえば、サラティンの農場で著者は初めて鶏を絞めることを体験して動揺しますが、サラティンは、動揺していい、屠殺は毎日やる仕事ではない、とまで言います。人間は生態系、食物連鎖の一部であって、それを忘れてはいけない、というのがこの本のメッセージなのでしょう。大変な名著だと思います。
2006年のベスト・ノンフィクション
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肉牛や乳牛は緑の牧場で草を食んで暮らすはずであるが、米国では、フィードロット(肥育場)に収容され、トウモロコシなどの穀物を食べさせられている。草を食べさせて肥らせる牛を牧草飼育牛、トウモロコシなど穀物を食べさせて肥らす牛を穀物肥育牛と呼んでいる。牧草飼育牛は、育つのに24ヶ月から36ヶ月かかるが、穀物肥育牛は14ヶ月から16ヶ月で済む。この穀物肥育によって、牛の「量産産業化」ができ、牛肉の値段は下がったわけであるが、多くの問題も生じている。フィードロットで暮らす牛は病気になりやすい。密集のストレスもあり、草を消化する胃(ルーメン)が役割を担わないことによる副作用もあって、抵酸剤や抗生物質やサプリメントを日常的に与えなければならない。草地ですごす牛の糞は肥料となってリサイクルされるが、フィードロットで排泄される糞は汚染源となる。一方、牧場ののどかな光景がなくなったように、いろいろな作物を作る農家の田園風景もなくなった。アイオワ州の農場は、トウモロコシと大豆だけを作っている。 サッカーのピッチほどの土地で、年間、8トン弱のトウモロコシの実が収穫できるようになる。1エーカー当り3万本ものトウモロコシを密集して植え、大量の化学肥料を投入する。こうして量産されたトウモロコシの実の60パーセントが、飼料として消費される。さらに、コーンスターチ、コーンオイル、ソフトドリンクに使われるコーンシロップ、バイオエタノールの原料として加工される。化学肥料をトウモロコシに、トウモロコシを牛肉や甘味料に変える量産産業の連鎖ができて、人々は過剰なカロリーを摂取するようになり、ローカルな風景、文化が消えていく。著者は、農場に実際に身を置いて、この連鎖を体験し、有機農業、狩猟、キノコの採集も体験して、対比させている。「雑食のジレンマ」とは、何が食べられるか、いちいち悩まなければならないことを言う。