ここから先は、ヘンリー・ジェイムズの『The Turn of the Screw』(邦題『ねじの回転』)ばりの途方もなく奇怪な幽霊話に転じていく。少なくとも7つは曖昧な点があるのだが、その謎解きを読者任せにするところも『The Turn of the Screw』に似ている。レイの葬儀のあと別荘に戻ったローレンは(夫妻は夏用の別荘を借りていた)、知らぬ間に空き部屋に住み着いた正体不明の若い男を発見する。まともに口の利けない、知恵遅れと思しき男。ひょっとすると何週間も前からこの部屋に潜んでいたのかもしれない。彼の存在そのものが、ローレンにはうまく理解できない。
「何だか捉えどころのない男だ。一瞬ごとに影が薄くなっていく」
ところがこの謎の人物は、ほどなくレイの声で、そしてほかならぬローレンの声で語りだし、レイの自殺前の数日間に2人が交わした会話の一部始終を再現するのだ。レイの魂が乗り移ったのか? それとも特殊な能力を持つ精神薄弱者が、隠れて盗み聞きした夫妻のやり取りを再演しているだけなのか?
デリーロは何ひとつ明確な答えを示そうとしない。それどころか、悲嘆に暮れますます困惑する主人公をよそに、過去と現在の、生と死の交差らしきこのできごとについて、自らの声で思索をめぐらすのだ。時にレトリックの抑えが利かなくなるのは、いつも素晴らしくコントロールの利いたこの作家にしては何とも奇妙である。「あれだけの過剰な無防備さが、いったいどうやって世の中を一人歩きできてしまうのか?」――まるで具合の悪い子犬でも哀れむような口ぶりではないか。それにローレンのパフォーマンスも(彼女は本書のタイトルになっているボディ・アーティストだ)、あたかも残酷演劇のアルトーがエアロビ教室向けに適当にでっち上げたような最低の代物に思えてしまう。それでも、抽象的思索を抑えてしっかり力を出しているところでは、さすがはデリーロ、読んでいて思わず息をのむ。