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斜線の旅

価格: ¥2,592
カテゴリ: 単行本
ブランド: インスクリプト
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斜線の先に行ってみる ★★★★★
名誌『風の旅人』に連載されたエッセーを集めた本書、遠く離れた土地が急に長い線を引くように結びつけられる、「斜線」の発想が新鮮だ。

「ポリネシアは三角形なんだって?だったらそれぞれの頂点には行かざるをえないね。」

そう言って軽快に出かけて行く著者に連れられて、様々な土地の風景、風土に出会う。ニュージーランドのアホウドリ、アメリカのモーテルとコヨーテ、恐山の強風、イースター島の火山、火口の湖。そして旅と読書はいつも切り離せない。例えばアメリカの地図帳や、ル・クレジオの旅行記。

「ぼくは彼の旅に文字により連れだって歩き、遠い島を思う。その想像によって、この島この都会の灰色の冬にも、突然光がみち色彩があふれだす。」

こんな一節を読んで、自分も色鮮やかな映像を想い浮かべ、さわやかな風を感じながらこの本を読んでいたことに気づく。旅の前に、後に、旅先で、もしくは行ったこともない土地のことを考えるとき、いつ読んでもいい本だと思う。
旅についての夢と覚醒 ★★★★★
もしあなたが旅が好きなら、迷うことなくこの本を開いてみていいと思う。もしあなたが観光旅行の虚しさを密かに感じているとしたら、きっとこの本はあなたにサジェスチョンを与えてくれると思う。化石燃料をまき散らすことの上に成立する「外国旅行」。でも旅に出ずにはいられない。だって僕らは日々の暮らしの単調な反復のうちに「どこかにマブイ(soul)を落として、自分でも気付かないうちにゾンビ化しているのかもしれない」んだもの。旅についての夢と覚醒、そしてブルーズ。『本は読めないものだから心配するな』を凌駕する、管啓次郎の紛れもない最高の旅語り文集である。  
移動し、非現実に身を置く。 ★★★★★
時に、人は真実よりも嘘を好むのと同様に、現実よりも非現実を好む。
おそらくそこに真実よりも、現実よりも、本当らしいものが隠されているのかもしれない。

色彩を抑えた表紙の写真は、海を見つめるサボテン。後ろ姿にどこか孤独感がただよう。
いざページをめくる。おどろくべきほどの色彩と温度。
時も場所も越えて、歴史も、人種も、国家も、地域も混在する…。
特殊性も普遍性も。支配も従属も融合も。
とても気が遠くなってしまう。
でも、これは一人の旅人が記憶した情景。
いや、一人の旅人が紡ぎだした言葉。
もしかすると、これが世界というものなのかもしれないと、ふと思ってしまった。
とすると、よく口ずさまれる「世界」はいったいどこにあるのだろう?

同じ線なのに、直線ではなく斜線。
ただ方向性があたえられただけ。
目的地も、その先どう進むのかも示されてはいない。
タイトルには、ただ移動のみが示される。
人は移動し、非現実に身を置き、思考し、
そして言葉に還元していくのかもしれないと思った。
身体も頭も心も刺戟する書物 ★★★★★
この本を読み終えて感じるのは、自分の視界が途方もなく拡げられているということ。その拡がりはおそらく、三つの地平から成っている。
第一の地平は、著者がこれまでの人生において旅し、思考し、文字という痕跡に残してきた地理的・空間的拡がりだ。雑誌「風の旅人」に連載された文章をまとめた本書では、必然的にそれが顕著だ。ポリネシア、アオテアロア=ニュージーランド...と数え上げだしたらきりがない。
第二の地平は、知と思考の拡がりだ。同じ風景に接するにしても、その肉体を支える総合的な知の強度、そこに駆動する思考のダイナミズムがいかに重要かということを思い知らされる。さらに、世界の事実の断片を描き出す著者の鍛えあげられた手つきは、読む者に否応なく思考を強いる。たとえば、最後の一本の木を切り倒したラパ・ヌイ(イースター島)の歴史をたどりながら地球の終末を予見する戦慄すべき一章。また、猫の死体を貪る東京のカラスから、フランスの古典に登場する楽園の鳥たちへ、さらに人工の鳥の島ティティリ・マタンギへと思考を羽搏かせ、鳥の進化と植物の果実の意味をめぐる驚くべき仮説へと読者を誘う一章。
第三の地平は、詩的な感受性の奥行きだ。本質的に孤独かつ峻厳である一方、繊細で瑞々しくもある感受性が、著者の文章に多くの襞を与えている。ダム建設で水没する村の陰で顧みられることなく滅んでゆく植物や動物への感受性、あるいは、不毛とされる砂漠に生命の充溢という喜びを見出す感受性。とりわけもっとも私の心を揺さぶったのは、ニュージーランドで、ペンギンたちのおぼつかない、しかし確かな足取りの上陸の様子を見つめながら著者の脳裡に訪れた想いだ。「生命の糸の何か」という「悠久」のあらわれをそこに透視する著者は、動物のそうした営みをまもるために、ヒトが滅ぶを選ぶこともいいのではないかという「さびしい感動」に包まれる。