悩んでるなら買ってください
★★★★★
いろいろ賛否両論あると思います。その通りです。僕も始め聴いた時、今までのようにあまりピンときませんでした。だけど、時間がたつにつれて次第にリピートして聴いてる自分がいました。なんでだろう?考えてみた結果、歌詞や音に中毒性があったんです。言い方おかしいですが、このアルバムは志村による、志村のためのたった一枚のアルバムです。だから聴いてないと志村が聴いてと訴えてくる気がするんです。まず感じてみてください。人それぞれとらえ方は違いますが、僕はこのアルバムとても良い出来上がりだと思います本人だって思い入れがあるんだからあって当たり前だと思います比べてしまうのは当然です。でもこの音を素直に聴けば好きになる人は好きになります。そうあってほしいです
きみはここにいた
★★★★★
志村くんの死去後に聴いている。私にとっては「FAB FOX」が彼らの最高到達点である。だからどうしてもそれとの比較で考えてしまう。「Merry-Go-Round」「Monster」なんかは、私の求めていた作品だ。ちょっと相手を小ばかにしたような突き放し方で自分の世界を開陳する激しいロックだ。
しかしこのアルバムの中心にあるのは、これとは違うタイプの作品だ。リスナーにぐっと近づいて、自分の思いをストレートにぶつけている。そんなに人を信じていいのか、と一聴して思った。そんなに手の内をさらしていいのか。そんな弱っちい生き方がロックという表現方法とそぐわないのではないのか。私はこの作品に対して自分の評価を留保していた。
志村君が亡くなり、この作品を聴きたくなった。ああ、確かにきみはここにいたんだね。こんな作品を作っておいてよかったね。フックやブレイクの少ないストレートで軽快な展開の曲に、君の思いがほどけていく。
12月の出来事
★★★★★
このCDの
『エイプリル』
その歌詞には
振り返らずに
歩いていった
そのとき僕は
泣きそうになって
しまったよ
って歌詞があった
僕は不覚にも
泣いてしまった
普段決して泣かない
僕がティッシュ
一枚じゃ
間に合わないくらい
泣いてしまったんだ
それは
志村正彦が急逝した
という
信じられようもない
事実を突きつけられた
その事とシンクロして
僕の心を深くえぐった
だからこそ泣けた
志村正彦は
死んでしまった
悲しくなるから
聴かないじゃない
志村正彦という
一人の人間
及び日本の産んだ
ロックンローラーが
この日本に居たんだ
という事を
忘れないように
聴くしかない
歌だからだ
しかし
志村正彦は
どこかへ
姿を消してしまった
それは12月の
ある寒い
普段は灰しか降らない
鹿児島の地にも
雪の降った
ある日の事だった
最後の最後に。
★★★★★
これは迷走じゃなくて、なりふり構わない出来る限りの全速力。
これは単調じゃなくて、さらけ出すことで生まれた素直さ…そして苦悩。
それが他からは情けなく聞こえても、今までずっと秘めてた自分の感情や感覚、相手を想う気持ち等々、
最後の最後に、不器用にも愚直にも思いっきりさらす勇気を持てた志村くんが、
このアルバムを聴いた時の自分には、人としてとても素敵に格好良く見えた。
今の自分にはこのような勇気はまだ持てない。
「自分のモノマネはしたくない。してはいけない!」
★★★★★
矢野顕子さん(唐突に名前を出してしまった…すみません)が以前
奥田民生さんとの対談でおっしゃってたことを思い出しました。
「音の表現とか作詞とか、自分のスタイルを自分が真似していっちゃうという落とし穴がある。それは自分ではなかなか気づかない。だから気がついて、ヤバイと思ったときに、自分で修正するするように私はしている」(奥田民生さんの単行本『FISH OR DIE』135〜136ページ)
フジファブリックは、志村さんは、表現者として
「自分のモノマネはしたくない。してはいけない!」
と思っていたんだと思います。
音楽で何かを表現する者として、そのことを常に自分に課していたというか。
だから、アルバムごとに、曲ごとに、全く異なるフジファブリックがそこにいたんだと思います。
そして、だからこそ、志村さんは常に、とても苦しかったんだと思います。
そのことが、最も良く表現されているアルバムがこの『CHRONICLE』ではないかと。
アルバムによって、曲によって、
全く異なるフジファブリックを受け入れられないリスナーがいるとしたら。
まず、リスナー自身が、自らの凝り固まった価値観をほぐすべきではないでしょうか。
私は、そんなフジファブリックが大好きです。
たぶん、これからもずっと好き。