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こんな日本でよかったね―構造主義的日本論 (文春文庫)

価格: ¥660
カテゴリ: 文庫
ブランド: 文藝春秋
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トリックスターとしての内田という方 ★★★★★
 内田という方を読む機会が増えている。語彙自体はかなり難しいものを使うが、基本的には平易な言葉を選んで語りかける姿勢は、正直有難い。また、その難しい語彙も辞書を引いて、勉強しているところだ。

 本書で取り上げる素材は広範囲に広がっており、全体像を把握しにくい。敢えて、一つのグリップを見つけようと考えるなら副題の「構造主義的」という部分であろう。
 内田によると「構造主義」とは「『私は知っている』ではなく、『私にはよくわからない』から始まる知性の活動」であるという。これは古くはソクラテスの「無知の知」にも見られる、一つの「知の在り方」だ。本書での内田の提起する様々な議論の底辺には、「無知の知」という考え方が流れている。「無知の知」とは、謙虚な姿勢かもしれないが、そう言い切る強さの源泉であることも良く分かる。

 本書から見えてくる日本の姿がある。その姿が正しいのかどうかは問題ではない。「こういう見方も出来るのだ」という提起自体に意味がある。僕が常識だと思っていたもの、物事を考える前提としてきたもの、に対する揺さぶりを感じたとしたら、それが本書を読む意義だ。内田という一人のトリックスターの存在価値も、そこにあるのではなかろうか。

ズルい本。 ★★★★☆
とある朝のラジオ番組で武田鉄矢がずっと絶賛している人だったので極力遠ざかっていた。
だって武田さんって好きな人のこと盲目的に誉めすぎるじゃないですか。

しかしこれだけ巷間に内田樹が溢れていれば手にも取ってみたくなる。ってことで読んでみました。
面白いですね。読みやすい。
自分も前からなんか引っかかっていたこの社会のアレコレに関して、割と腑に落ちることが書いてありました。
たまに「そうかなあ」と思うこともないではないのですが、文章表現があまりに巧みなので、いや待てよ、これはわざとこういう書き方にしているんじゃなかろうか。こっちに何かを投げかけようとしているんじゃないだろうか。
と考えを巡らせてしまいます。
結構ラディカルなことが書いてあるのに上手いこと尻尾をつかませない。
そういう意味でズルい本だと思いました。

難しい言葉は出てきますが、文章はよみやすいです。
むしろ覚えて使ってみたくなる言葉が多い。
あと、声に出して読みたくなる。
そこそこ機能している「こんな日本でよかった」のかどうかは、読者各位のご判断にお任せします ★★★☆☆
本書は同名の単行本『こんな日本でよかったね』の文庫版。内田氏のブロ
グの中から「教育、家族、国家」に関連する37の記事をピックアップして本
にしたという体裁だ。

予め言っておくと星の評価は暫定的だ。たぶん読み手がどういった人かで
評価は分かれるはず。内田の本やブログの従来の読者は「またか」と思う
だろうし、初めての人でも、目の前の靄がパーッと晴れたような爽快な読後
感を味わう人もいれば、ページをめくるにつれ手の震えが止まらないくらい
怒りがこみ上げてくる人もいるだろう。だからとりあえず3をつけた。

昨今の日本の思想家の中でも独立独歩、絶賛わかりにくい主張を展開中の
内田さんなのだけれど、僕は前から「この人単に“機能主義”なんじゃないか?」
と思っていた。国家統合の象徴として「機能している」うちは肯定する天皇論
や、日本の疾病利得として九条が「機能している」から現状肯定する憲法問
題など、彼が着目するのはシステムの機能だ。

だからふつう人が「酷い有様」を批判する対象に内田は、「酷い有様“でも機
能している”」という目を向ける。副題にあるのだが、内田氏というのが根っか
らの構造主義者で、たぶん内田流にそれを突き詰めていけば、そういう機能
主義になるわけだ、たぶん(と思ってたら本書中(「原理主義と機能主義」)で
自分で書いてるし。なんかクヤシイ)。

内田氏への批判に「ものは言い様」とか「単なる現状肯定でしょ」というのがあ
る。だが、氏が単なる現状肯定だと言い切れないのは、そこに彼の師事するレ
ヴィナスの思想がミックスされているからだ。システムや構造が機能しているう
ちは、基本的にはあまり動かさない方がいい。だが、そこからは類推するしか
ない未来への感度を失った現代の子供に彼は深い哀れみの眼差しを向けるし、
そのように子供たちを仕向けた日本の制度に、教育に、個人主義に激しく憤る。
それも、内田樹のもう一つの顔なのだ。
おひまなら ★★★★☆
 読むものがなかったり気持ちに余裕がなくなった時、内田の本に手が伸びる。頭のマッサージ。ただし、「内田樹って面白いよ」と友人に薦める気持ちにはなれない。誰かが内田の本を読んでいるのを目撃したら、ちょっとヤな気分になりそう。貶す時には盛り上がれそう。
 内田って原稿売り込みに出版社を訪ねたり、ナントカ賞に応募したりしたことないんでしょうね。本書だってブログに書き散らかした文章を、編集者がヘーコラとまとめて形になっている。こんなに強いポジションをゲットした書き手も稀ではないか? ただ私としては、ブログを運営していることそのものに、幾許かの「弱点」があるんじゃないかと思う。しかし内田樹を日本のインターネット文化と絡めて論じた文章にお目にかかったことがない。ちょっと不思議。
 第2章の「不快という貨幣」を読んで『下流志向』の記述の理解が少し進んだ。ナルホドねェ。でも、やっぱり納得出来ない。第4章の「リセットの誘惑に弱い日本人」に「〜は終わった」という言い回しに対する嫌味が書いてあり、「私以外にそんな性根の悪いことを言う人間はいない」なんて言ってるが、蓮實重彦がいた。第1章の「母語運用能力について」中のバイリンガルについての記述は、そのまま国内の地方出身者の問題に置き換えられそうに思う。で、これは場合によってはむしろポジティヴに捉えるべき話じゃないか? マイナー文学って概念もあるじゃない?
偉い先生のごもっともなご意見ばかりで恐縮しました! ★★★☆☆
私だけの感じたことかもしれないが、著者の目線が気にかかった。
目線というよりスタンスかもしれない。
そのスタンスのレベルが一段と高いところから眺めて書かれているように思いながら読み終わった。
横文字が多いし、偉大な哲学者などの引用もかなり多く、普段お目にかからないような単語も結構多く使用されているような気がした。
本書の中で、著者が小泉、安部政権に対してかなり批判的なことを書いている部分が私にとって一番の救いであった。
まー、本なんて解ってくれる人だけに解ってもらえばいいのだが、「こんな日本人でよかったね」なんていうタイトルではなく、副題「構造主義的日本論」のほうが、この本のタイトルにふさわしいのではなかったかな?