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500万で家をつくろうと思った。

価格: ¥1,575
カテゴリ: 単行本
ブランド: アートン
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:鈴木隆之/共著 藤井誠二/共著 出版社名:アートン 発行年月:2003年11月 関連キーワード:ゴヒヤクマン デ イエ オ ツクロウト オモツタ ごひやくまん で いえ お つくろうと おもつた、 ア-トンシンシヤ 0103 あ-とんしんしや 0103、 ア-トンシンシヤ 0103 あ-とんしんしや 0103 わかっているようで誰も知らなかった建築コストのカラクリ建設業界の常識・理想・現実…資金ぐりから施工者さがし、セルフビルドのノウハウまで超スーパーローコストハウスを500万円でつくる本。 第1章 ぼくが500万ハウスの設計を鈴木隆之さんにお願いした理由第2章 「激安的住居」の「思想」と「敵」第3章 500万ハウス設計&建築日誌第4章 How to build「激安的住居」第5章 「回想と予感」
縮小する時代における自立した一つの「生き方」 ★★★★☆
 石山さんの「セルフビルド」という本で紹介されていたので読んでみた。500万という異常な値段で自分の大学の学生や知り合い関係など、様々な人間を巻き込んでの半セルフビルド建築。材料費を切り詰めて、人件費を切り詰めて、その先に出来る姿。施主である藤井さんの姿が本書の中に出て来ないのがこの作品における気掛かりなところだったが(作品の価値が高まり切れてない箱のように感じるのは施主の介在の薄さだと言えると思う。)、あとがきでの「言葉」を読むとこれから、この未完の建築が成長していく予感を感じさせる。
 自分でも40平米を50万という値段で友達の内装をした経験があったから、ここに書かれている施工上の試行錯誤はものすごく共感できた。自分も当然、セルフビルドを想定した設計に施工だった。鈴木さんが長い付き合いではなかったが、「藤井さんじゃなかったら、こんな仕事は引き受けなかったかもしれない」というのは凄く理解出来る。僕も施主がその友達でなければ受けなかっただろう(僕もその友達とは4回ほどしか面識はなかったが)。鈴木さんは受けた理由を

「藤井さんも僕も物書きで、互いにその文章を読んでいる。それでひととなりはわかるし、物書きたるもの、自分の言葉には責任は持つだろうと、そういうしかたで信用したのだ。」
p.134

 と、述べている。これは非常に重要だと思う。自分は、この感覚はblogの様な情報媒体での表現にも適用されると思っている。自分がmixiのようなSNSを続ける理由の一つがそれだ。マイミクの人間が施主になるかなんて、そんなことは知らない。しかし、継続的な情報のやり取りはお互いにひととなりを知れた表現者同士としての関係を築き上げる可能性を持っているように思える。そして同時にそれは自分の考えを社会と向かい合わせてくれる。石山さんが世田谷村日記を書き続けることから学ぶこと、そして早稲田の教授という地位を取り除いた時にあの日記でなにが出来るかを考えることは重要だと思った。これは建築家以外の表現者にも言えるだろう。
 この作品が、まだ赤字経営を前提としたものである、というのが発展の余地を残したものであることを示している。本書中に出て来た「コンテナ」を利用した方法は確実にあるだろう。コルゲートは桃源郷としての山中に埋没した工業品であったとしたら「コンテナ」は都市の流通する工業品である、街中に似合わないわけがない。重要なのは人件費の削減とあったが、それを全てセルフビルドに還元するのは間違っているだろう。作るという事をもっと幅広く捉える必要があるように思える。時間を長く見た設計と施工と消費/運用の関係が組めるとしたら建築の建て方はもっと自由になるだろう。作って住む、という消費でしか住宅を考えないからセルフビルドへと還元する方向へ短絡的に向かってしまうように思える。もっと、運用を含んだ経済,経営的な側面を建築の設計/生産の部分に取り入れて資金のやりくりを考えるべきだと思う。そこまで行くと、やはり、ぽん、と家を買いたいという関係では無理で、もっと継続的な関係にもとづく必要があるだろう。
 石山さんも「セルフビルド」で述べているが、セルフビルドとは「個人による最上級の表現」であり、現代に残された数少ない個人の表現手段である。この作品において藤井さんのそれがまだ表面化していないのは、やはりもったいないところなのである。そしてセルフビルドは経費の削減の面も持っているがそれ以上に個人の表現を勝ち取るためにあるべきだと思う。建築家はそれを社会/世界とどう調停させるか、どう位置づけるかを考える立場にあるべきだろう。建築家のいないセルフビルドは「桃源郷」であり社会から浮遊している。それは平安時代における貴族のための仏教と同じだ。藤森さんなんかが考えるセルフビルドはまさにそれだと思われる。鈴木さんと藤井さんがやったものは、それとは異なる。それは鎌倉時代に農民や漁師、遊女たちとともに生きた法然や親鸞が描いた浄土の世界としての仏教。地に足ついたものへと夢見たものである。それは、表現者として埋もれている人たちを救い上げる「手」である。鈴木さんの事務所の名前に「ネットワーク」という言葉が入っているのは、まさに手をつなぎ合って成長していく姿を象徴しているだろう。
 現在では、そのような繋ぎ合いが成長して500万で注文住宅が実際に立つような状況まで来ている。特に地方工務店などの生き残りのための戦略上の進化はまちづくりレベルにまで発展させようとする動きを見過ごすことは出来ない。
 20代で建築家を考える自分としては普通の新築の仕事が出来るなんてリアリティを感じられない、むしろここで語られている世界の方が、まだ自分の手にこぼれ落ちて来る可能性を感じられる、そういう意味で、縮小する時代における自立した一つの「生き方」をこの本は提示してくれているように思える。
今では500万円住宅は当たり前になってしまった。 ★☆☆☆☆
今更だが中古を購入した。
確かに内容は面白いが、所詮セルフビルドとボランティアの協力で建てた金額。
今の時代には合わない本だなと痛感した。


2007年は注文住宅が全国各地で500万円で建つ時代になったからだ。

2003年は1000万円以下で建てたと言えばビックリだったが。数年で急激に変わる業界に驚いてしまう。
建築&建築史の入門書でしょ? ★★★★☆
この本って、建築&建築史の口語の入門書でしょ
1.安い住宅を造るときの作り手側が考えることを示す。
2.安い住宅に建築家がどのように取り組んできたかを示す。
が主目的で、ただ安い家をつろうかっていう人が参考にする本じゃないですよね~。だからできた家の良し悪しはあまり関係ないです。
私もこの家には住みたくないです。

でも建築&建築史の入門書としては、とっつきやすくていいと思いますよ。建築マニアが読む本としてはまあまあ。

物語る空間 ★★★☆☆
 手元の現金と個人の信用だけで家を建てよう。それが500万という数字だった。土地(定期借地権)とあわせて約1500万。独身のノンフィクションライター(藤井)のこの発想に、建築家(鈴木)が応じた。見栄や虚栄心、幻想(幸せな家庭)、無知(建築の値段)、不明朗(建築業界)、信仰(土地)を超えて、「物語る空間」を構想する建築家とノンフィクションライターとの「東京激安的住居物語」。──「住宅とは「生活を入れるもの」だ。そして生活は、ひとそれぞれ、百人いれば百通りのスタイルがある。だから、住宅は、そのつどそのひとに合わせて考えられなければならない。だから、もしあなたがあなた自身の激安住居を建てたいなら、あなたの生活から出てくる哲学と工夫が必要になる」(鈴木)。「つくり手の人々の想いが蓄積された建築は生き物である」(藤井)。
『500万で家をつくった。』ではなく ★★★☆☆
まず、タイトルの“500万”という数字に驚く。どんなに家を小さくしていこうが、
セルフビルドのログハウスだって真っ青の数字だからだ。まあ、それなりの
家(ある意味で特殊な住宅)だろうな…と予想はついていたが、その挑戦は
天晴れだといえるし、その成果(どんなシロモノができあがったか)は知って
おきたいと思った。

――結果。

●倉庫に住める感覚の持ち主向き。
  *いわゆる“マイホーム”ありきでローコストを目指している人には、
  実際的とはいえない。

●コスト削減の苦労はいろいろと書かれているが、多分に「単発的」
 要素で成り立っている。
  *半セルフビルドは当然としても、建築家は大学の教員であり、多くの
  手を学生から借り出している。

●イノベーティブであるがゆえ、啓発的発言が少し煩い。
  *「割り切り」を大義名分にかなりの論説が繰り返される。
  しかし哀しいかな、できた家に果たして言葉を越える説得力があった
  だろうか。

常々思うことだが、この手の本には、建築にかけた日数以上の(年単位の)

住みこなし記録がないとウソだ。本書には完成してからの若干の記述はある
ものの、早速階段を取り替えたいという話が出てくる程度で、「おもしろい
ものをつくりたい」と繰り返した割には、住み手がどう楽しんでいるかは不明。
それとも、建物が出来上がった途端に特殊であれば「おもしろ」かったの
だろうか。

住宅である以上、最低限の機能と普遍性を無視して「おもしろい」はありえ
ないし、第一、本当に楽しいかどうかは住んでみてはじめて分かることだ。

Casa BRUTUSなどの特集記事の延長線上にあると思ってもらえればいい。
他人の試みを楽しむには充分な本である。