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一万年の旅路―ネイティヴ・アメリカンの口承史

価格: ¥2,625
カテゴリ: 単行本
ブランド: 翔泳社
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彼らの故郷は、地震や火山活動活発な日本周辺? ★★★★★
最近、縄文時代に興味を持ち、色々読み漁っていました。10年以上前に読んだ本書と時代が重なる事を思い出し、また読み返しているところです。

訳者あとがきP540では、イロコイ族の太古の故郷からの旅立ちを、1万100年前としています。ぴったりは合いませんが、1万1000年前、九州の桜島が大噴火し、一帯に広がっていた縄文時代草創期の集落に壊滅的打撃を与えたことが紹介されています。(岡村道雄著「縄文の生活誌」2008年講談社学術文庫)また、6千数百年ほど前、海底火山の鬼界カルデラが大爆発し、南九州から屋久島の生き物が全滅したことが紹介されています。(橋口尚武他共著「海を渡った縄文人」1999年小学館)津波を伴った地殻変動が、一万年前前後に、日本列島あたりに幾度か起きていたようです。

当時イロコイ族の祖先は、旧石器の道具で暮し、屋根のある住処を作らない文化を持っていた様子。当時の日本列島は、縄文時代早期で既に土器を使用し、竪穴式住居を作り道具も高度に発達していたので、物語の舞台ではなさそうです。

イロコイ族の祖先の地、縄文文化が及んでいない日本の近所で、温泉があって海も山もある場所は、どこでしょうか?
一万年前は、今より寒かったはず。著者が想定した、シベリア本土から樺太、千島列島、カムチャツカ半島にかけての土地では、物語にあるような暮し方が出来たのでしょうか?

翻訳者が考えた、朝鮮半島の付け根なのか、朝鮮半島の温泉と言えば金剛山付近なのでしょうか?

1万年前の海面は、現在より二十数m低かったようですから、小さな湾だった黄海の遼東半島や山東半島は、どうでしょう。温泉はあったのでしょうか?
もう、鳥肌モノです。 ★★★★★
アメリカ大陸のインディアン部族の祖先が、アジアの海沿いで暮らしていた頃からの、部族の移住と学びの歴史を一万年も語り継いできた口承を、絶える寸前に文字に起こしたものです。

一万年にわたる旅の出来事から部族が学んだ教えは、とても深く心に語りかけてきます。


このような壮大な人類史が私たちの世代に引き継がれることなく消えて行った事実をとても残念に思います。

ヨーロッパからのアメリカ大陸への侵略で、脈々として受け継がれていた先住民の叡智はほぼ根絶されてしまいました。
(コロンブスのアメリカ大陸発見!などという世界史観は、ヨーロッパ中心の世界史感でしかないことに強く違和感を覚えるのは、私が東洋人だからでしょうか?)

600ページほどのかなり分厚い本ですが、引き込まれるように一気に読んでしまいました。

この本に出会って、古来の人類が持っていた叡智の素晴らしさに少しでも感動してくれる人が出てくれるとうれしいです。

読んでいて何度も鳥肌が立ちましたが、この感動を皆さんにも味わって欲しいと思います。
祖先の旅路に思いをはせる・・・ ★★★★★
この本に書かれていることすべてが真実であるはずはないでしょう。
代々の口承者の誇張、虚構、創造、聞き間違い、思い違い、様々あると思います。
ただ、なんと壮大で、想像力をかきたてられる本であることでしょうか。

こんな人類の物語があってもいい。ちょっと信じてみたい。
そう思わされる本です。
ニューエイジ系としては良書だが ★★★☆☆
アジアから北米へのモンゴロイド移住という
壮大な仮説とも言うべき物語が、
一族の語り部に伝えられた「記憶」として、
イロコイ族の血が混じるという
現代の白人女性によって生き生きと語られる。

ちょっと類書が思い当たらないほど奇想天外な設定の割に
中身は案外まともという印象だったが、
下の富永さん同様、訳者の出しゃばりぶりが
いささか気になってしまったこともあって、
このような評価になった。

訳者あとがきによれば、
自作小説の内容とほぼ符合する本書を見つけたことに
何やら運命的なものを感じて翻訳する運びになったのらしく、
その熱意はじゅうぶん伝わってくるものの、
言わずもがなの訳注が何度も繰り返されるさまは
ほとんどクロースアップの連続する映画を見ているようで、
正直、興をそがれてしまったのも確かだ。

「現代の語り部を気取るつもりはないが」
とまで述べる訳者だが、完全に勇み足というものだろう。
地図作成等では著者との共同作業もあったらしく、
自分の作品と錯覚しそうになる気持ちもわからないではないが、
訳者である以上、原著の声を聞き取ることに全力を挙げつつも、
自らの存在は黒子として訳文の中に溶けこませるべきだったと思う。

最後に、これもすでに指摘があるように
本書の記述を百パーセント事実と捉える必要はないはずだ。
たとえば、海進期のベーリンジア地峡を渡る際、
互いの身体を綱で結び合うことで
一年以内に島々を渡り切ったということになっているが、
これは文字通りそのようにして渡ったと考えるよりは
比喩的な表現と捉えたほうがいいような気がする。
少なくとも、その可能性は考えるべきだと思うのだが、
そのような考察がほとんどなされていないあたりに、
ニューエイジ特有のハッピーさを感じてしまった。
無批判な訳注で台無し ★★☆☆☆
本文自体はおもしろい口承文学として読めるのですが、「あくまで口承であり、歴史的な流れの中で大きく変遷している可能性(と、採集者によるバイアスの可能性)」を無視した、かつ、すべてを無批判に事実として受け入れた訳注が、この本をトンデモ本に貶めています。

「~石器時代でもその能力をもつ人にはこうした一種の遠隔透視ができたらしい」って、あんた・・・。
そういう意味ではキリスト教原理主義的に聖書の解説をつけるのとなんら変わらない態度ではあります。

いわゆる自然派やニューエイジ的な観点で切り取られた口承史として、ある程度批判的精神の下に読み進めるべき本ではないかと思います。