現実を見る目
★★★★★
何がいったいどうなったのだろう。
嘘を嘘で塗り固めたようなことが、本当に放置されていたのだろうか。
10年前に、警鐘を鳴らす本が出ていて欲しかった。
事後処理は無益ではないが、事前予防が大事のはず。
リスク管理といいながら、リスクだだもれだったのだから。
本書は、現状を認識する上で必要となる、情報を整理してくださっています。
ノーベル経済学賞の嘘っぱちを暴く
★★★★☆
多くは述べない。
本書の面白さは、スウェーデン銀行ノーベル記念経済学賞のエピソードだろう。
所謂「ノーベル経済学賞」、すなわちネオリベ経済学系の「自分売り」経済学者の理論は、アルフレッド・ノーベル自身、及びそのご遺族の意向からすると、まったく何の権威もないということがはっきりとわかる。
評者は年来の感懐において、フリードマン及びその亜流どものノーベル経済学賞を剥奪すべきという信念が、少しも間違っていないことを確信した。 以上。
米国発金融革命の断罪
★★★☆☆
プルードンを高く評価する1943年生まれの経済学研究者が、2008年に刊行した本。1970年代以来、「ノーベル経済学賞」(アルフレッド・ノーベルを記念するスウェーデン国立銀行による経済科学賞)を相次いで受賞することになるシカゴ学派やフリードマンの理論に基づき、米国型金融システムが強大な構造的権力として登場した。それは金持ちの短期の会員制クラブとしてのヘッジファンドに典型的に見られるように、生産を軽視したマネーゲームであり、不明瞭な基準による格付けをもとに、さまざまな債権を束ねて証券化し、グローバルな規模で他者にリスクを無限に分散・転嫁するものであり、間接金融から直接金融への転換、金融の短期化とハイリスク化、実態把握の困難を帰結した。この「金融革命」は結局、2007年のサブプライムローンの破綻によってグローバルな規模でその問題性を露呈し、ドル基軸体制の終焉を顕在化させたと本書は主張し、グラミン銀行、NPO銀行(法によってつぶされかかっているが)、イスラム金融、ラテンアメリカのバンコデルスル(南の銀行)、ESOP(従業員持株制度)などのオルタナティヴな金融の在り方の事例を紹介している。全体的に米国型金融システムとそれを支える経済理論、「ノーベル経済学賞」に対する断罪色が強いことが本書の特徴であり、それはそれで正しいと思うが、資本主義経済の展開史の中でのその位置付けに関して、物足りなさを感じる。そのためにも、国際分業の在り方をもう一度再考する必要があると思われるが、その点では発展途上であるとはいえ、第六章の具体例が興味深い。
いまこそ、新たな「金融」を考える時である。
★★★★★
今年を振り返れば、サブプライム危機からはじまり、リーマンショックをきっかけとして金融危機そしていまや世界同時不況という様相が深刻化しつつある中で一年を終えようとしている。
本書は、この世界同時不況の根源でもある「金融」に焦点を当てて、なぜ世界経済がこのような状況に陥ってしまったのかを、歴史的に解き明かしている。金融危機をめぐって、実に様々な書物が出版されているが、それらの中でも本書は最も優れた一冊である。
著者の考えは、明確である。戦後日本の驚異的な発展に貢献してきた日本の銀行システムは、アメリカからの構造改革という名の圧力により解体され、根拠のない自己資本比率規制がかけられ、日本を支えていた間接金融は弱体化してしまった。
その一方で進められてきた直接金融の弊害が、短期的利益追求にいっそうの拍車がかかり、債権の証券化とリスクの他者への転嫁が行き着いた先が、サブプライム危機である。
この流れをさかのぼれば、ミルトン・フリードマンを代表とするシカゴ学派による市場の自由化がある。
この市場こそが自由という考え方に対して、世界初の先物市場「堂島米会所」の事例は、今の原油や穀物価格の急騰と下落の流れと完全に相似形をなしていることに、歴史に学ばない人類の悲しさを感じてしまう。
戦後の日本の主食であった米は、食管会計制度によって高騰が避けられ、多くの日本人を飢えから救ってきた。この時に、デリバティブのような市場放任制度を持ってきたら、庶民の生活は、確実に破壊されていただろうと断言している。
いまこそ、新たな「金融」を考える時である。
何を説明したいのか
★★☆☆☆
金融関連事象を経済学理論などを使用して説明を試みているが、いずれも中途半端な形に終わっていく気がしてならない。又、金融商品などに関してはかなり誤解しているのか、デメリットのみ取り上げているのか、金融権力というタイトルからその様にしているのか、読む場合には気をつけて読む必要がある。
アメリカの金融支配モデルの問題は否定できず、その問題点を扱った書籍は多々あるので、本書での説明もその一つと考えて比較して読むことをお勧めします。