再び「必要は発明の母」となって経済社会は発展するか?
★★★★☆
サブプライム危機に短期的には救済で対応し国民心理の冷え込みが経済全体に及ぼす甚大なインパクトを回避し, 長期的にはデリバティブ等の金融技術の不動産市場への適用によるリスクの小口化・分散化を図り、持家関連の各種保険制度の整備拡充といった社会インフラとしての金融制度を充実発展させて、その効果を国民全体が享受できるようにすること(financial democracy)であると説く。
1929年の世界恐慌後に発明(創設)された住宅ローン関連の種々の制度、預金保険機構、証取委員会の設置といった(現在では当たり前と思われているような)社会インフラの整備は、当時の状況からは非常に大胆な発想だったが、現下の危機に臨むに際しても同様に「必要は発明の母」としての想像力豊かで大胆な発想が求められており、著者の提言は長期的施策の中身の一部を構成する。関心させられるのは、金融技術の進歩に対する、この確固たる揺ぎ無い信念である。
一方で、私は金融の門外漢で見識も持ち合わせていないが、長期的施策の前提となるべき部分では、(本書151ページで引用されている論文からも) デリバティブが資産市場のボラティリティを縮小させるということは必ずしも実証研究では(否定的結論は出ていないものの)総じて肯定的には証明されている訳ではない様であるし(但し流動性面では効果はあるらしい)、不動産関連市場でのデリバティブの推進が不動産バブルの発生を回避することに繋がるのかどうかは、デリバティブが更に進んだ株式市場でも依然バブルは発生していることを考えると効果の程については良くわからない。また、そもそもデリバティブを通じて不動産関連のリスクを小口化し広く分散化させることが経済にとって良いことであると言えるレベルまで、現実のリスクマネジメントの方法論や手法は発展していないのではないか?という漠然とした懸念は依然残る。
転んでもただではおきません
★★★★☆
いや真面目なんだな...社会の進歩に対する信頼には驚くくらいです。本書には今回の危機を引き起こした様々な責任者に対してのfingerpointingはありません。むしろ短期的な対策としては、bail outを提言しています。銀行に対してだけでなく、subprimeの借り入れ人に対してもそうです。理由はこれほどの問題が起きてしまった場合には、bail outをせずに、market disciplineを貫徹した場合には社会の構成員の社会に対する最低限の信頼を傷つけてしまい、社会組織(social fabric)の崩壊につながってしまうからです。このような発言は、日本の不良債権の危機の際にはどこからも聞くことがなかったと記憶しています。そしてもっとすごいのは、今回の危機をきっかけとして、金融のre-regulationではなく、financial democracyなるものを提言している点です。著者は社会の金融化を否定しません。むしろ金融テクノロジーの進展がもたらす効用を基本的には是認しています。そしてどのようにしてこのような進歩の便益がより広い社会の成員に享受させるかが後半の主眼となります。デリヴァティヴ商品をどのようにしてリテールの顧客に売りつけるのではなく、そのリスクヘッジ機能(不動産価格のindexの取引所への上場等)をどのようにして幅広い参加者に享受させるか、そしてその仕組みを作り出すかが、著者の目的です。たしかに最先端と原始的な欲望の発露が共存している社会にはこの議論は当てはまるのかもしれません。でもベンチマークへの相対的な優位を求めざるを得ない競争が本質である現代の金融が変わるとは思われません。