フェルメールへのあこがれ紀行
★★☆☆☆
有吉氏が「フェルメール・ラバー」であることは本書を読んで
よく伝わってきます。でも、有吉氏と一緒に、世界各地に散らばった
フェルメール作品を心情的に一緒に「見に行く」旅行という感情移入を
満足させられるほど、描かれている文章表現は、リアリティや臨場感が
伝わってこないのは残念です。
著者が自由な時間とお金で、フェルメール(やその他の芸術家の足跡)の
作品を求めてあちこちの著名な美術館を走り回っている様子しか読み取れない。
「好きです」「すごいんです」はわかりますが、深い考察や
著者がなぜそこまでフェルメールに心酔するのか、の開陳のひとつの
欲しいところです。
また、他のレビュアーの方が指摘されているように、解説代わりに
挿入されている作品がモノクロだし、写真があまりにも小さい。
本書を読むには、事前にたとえば、第一人者である小林頼子氏の
フェルメール入門書などを読んでおくか、手元に画集などを置くか
して読み進めないと、なかなか不便な思いをしそうです。
いづれにしても、著者のように、自由に世界中を飛びまわれない
ほとんどの読者にとっては、一種の憐憫、嫉妬心を強く抱き
つつ、同時に、「一枚の絵画を見るために、海外まで足を伸ばす」
という道楽があってもいいんじゃない?という、気づきと免罪符を
得られたような気持ちで、楽しむことができます。
とにかく、紀行文で評論という内容でこの価格であれば、
できれば、巻頭に、作品の紹介(できればカラー写真)とか、巻末に
参考文献の一覧のひとつも欲しいところです。
フェルメールの別の見方
★★★★★
一つのテーマについて本を読む時、二冊の全く切り口の違う本を読むことをお薦めます。どちらが正しいという意味ではありません。頭が柔軟になって年をとっても認知症にならないためです。で、フェルメールなんですが、「宇宙に開かれた光の劇場」上野和男・著という本が、本書とは全く切り口の違うフェルメール論になっています。残念ながら本書を理解するのにフェルメールや西洋絵画全般について、ほとんど予備知識を必要としないのに比較して、後者の本では全く逆になっています。それどころか、いきなりどこが関係するのか著者の真意が見えない日本の考古学や古事記の話まで、出てきます。全く読みにくいという面で、本書と正反対です。しかし、それだけに何回か読み返してみると、奥の深さがわかって真の読む楽しさがわかってくるのです。こういう難しい本を読むこつは、最初の1ページから順に読むのではなく、たとえば、巻末の映画索引で自分の知っている(出演した俳優を知っている)映画が何ページで語られているかを、確認するのです。(具体的には例えばアランドロンの映画のことですが)そのページを最初に読んで、著者がなぜこの映画を引用したか考えてみます。こんなことを繰り返すとパッチワークのようにしだいに著者の言いたいことの全容が本全体で見えてきます。興味のある用語索引中にある用語でもかまいません。こうして有吉玉青と上野和男の違いもわかってくるのです。繰り返しますが、どちらが正しいとか、面白いとかいうつもりはありません。それでも、手前味噌でごめんなさい。
絵は見るものというよりは、
★★★☆☆
見に行くもの、とのポリシーを抱き半ば「追っかけ」的なフェルメール・ツアーを決行してしまうバイタリティーにまずは脱帽。みなさまがご指摘のように軽いエッセイであり深みがないし、それほどまでして作者が見に行ったフェルメールの絵が見えないぐらい小さな白黒での掲載しかしていないので興味がない人にはまったく伝わらないのも事実だが、とにかく行動を起こすことは重要だろう。なぜか日本人は海外旅行に行ったときと有名絵画が上野に来たときだけ美術館を訪れる気がするが、「ハコモノ行政」と批判されるものの自分の住む街には必ずこじんまりとして閑散とした美術館があるので、まずはそこに行って絵を見ることが第一歩であることを思い出させてくれる力の詰まった良書。そして、最後には「合奏」が出てくることを自然に祈っている自分がいた。
作品紹介ではなく気儘なエッセイとして
★☆☆☆☆
この本の性質を例えて言うなら、「ある一人の男に惚れ込んで、それ以外は見えなくなった若い女の子の惚気話」。
彼女がどれ程その男が好きなのかという気持ちはよく伝わってくるものの、その男の良さを説明する際に「聞いている者にわかってもらおう、その人にも好きになってもらおう」という気遣いがないため、聞いている者にはその男が一体どんな人間なのかはさっぱり見えてこない。更に、あまりに自分の気持ちと事情だけを語り、聞いていて客観性がなく、次第に聞くのが苦痛になってくるという次第。
作者の文章が好きで、フェルメールのことはどうでもいい、という人には、「有吉嬢の文章がまた読めて嬉しい!」、となるのでしょうが、フェルメールの鑑賞文として読むと(鑑賞ガイドあるいは解説書としてなんて論外!)、ガックリくるどころか、買ったことを思い切り後悔します。
有吉ファン以外、なかんずくフェルメールファンには絶対にお勧めできません。
うんざりしてしまう理由3つ。
1)内容の薄さ
実物を観た作者本人の、その時の生活事情や心理が記述の中心をなし、肝心なフェルメール作品に対する客観的な描写が一切無いため(そもそも1節につき6頁ほどの文章に、1つの美術館で同時に観られる作品を全て詰め込み、しかも半分以上をその絵を観に行く経緯と作者の生活事情に割いてあるのだから、絵そのものの解説や、感動の細部を論理的に詳述しているだけの余裕はない)、実物を観たことがない読者には不親切極まりない(ちなみに私自身はフェルメール作品を12点、実物を観ていますが、それでもこの本を読むと、あまりに作者の鑑賞ポイントが違う・記述が曖昧なので、逆に混乱してきました)。
2)挿し絵に一切気遣いがない
実物未見の読者の不利を補ってくれるはずの、作品の写真が白黒で、しかも小さく、不鮮明。
更に、複数の作品の写真を、どれがどの題名の作品なのか記載せずに掲載している。作者が文章中でディティールの説明を殆どしていないため、いかにわかりやすい題名のついているフェルメール作品とはいっても、不親切すぎる。
これでは作者の感動を追体験することすら出来ず、作者の「いい!」という主張が理解できない。作者の主張の十分な理解のためには、別に作品名がきちんと載っている、カラー刷りの図版でも用意する必要がある。
3)作者本人の客観性及び探求心の不足
絵のディティール等の客観的なことは、殆ど調べずに書いている。
例えば展示方法に疑問を持っても(当然読者も同じ疑問を持つように文章を書いてあるが)、絵を観たその場では係員に聞くのが恥ずかしかったので聞かなかった、で放置し、本にまとめる際に調べ直したりもしていない。別に論文ではないのだから、そんな美術学的なことを書かずに済ませてもいいのだろうが、せめてどんな絵なのか、ディティールぐらいはちゃんと記述し(書かないのなら挿し絵をそれなりのものにし)、自分が疑問に思ったと書いたことぐらいは、後から調べる等のことをしないと、隔靴掻痒の感を強く受ける。
私は別に学術的なフェルメールの研究書を買おうと思ったのではなく、軽いエッセイ的なフェルメール鑑賞文を読みたいと思ってこの本を購入したのですが、それでも作者の「鑑賞文」の下手さ加減にはうんざりきました。フェルメールの実物を観ることが出来る人間が限られているということを意識せず、またそんな中で他人が読む文章であるということもまた、意識されていないため、はっきりいって「夫の仕事のおかげでたまたま海外で遊べた主婦の自慢話」にしか読めない部分も多々あります。
作中で、作者が「学者になるには自分は能力、そして何より忍耐強さが足りなかった」と言っているが、さもありなん、と作者の人柄について強く頷かせる文章と内容でした。
やはりこの手の本は、たとえエッセイ扱いであったとしても、しかるべき研鑽を積んだ学者のもので、その学者が仕事の合間に一般向きに軽いタッチでちょっと書いてみた、というものを選んだ方が、知的好奇心も満足し、面白いと思います。
正直、この作者は、絵画等の「鑑賞文」を書くには、能力的にも、そして本人の執筆姿勢からも、不適当でしょう。
あくまでも軽い女流エッセイであって、フェルメールの鑑賞・解説文のカテゴリに入れてはいけない本だと思います。
あまりにもわからない、苛々する文章なので、こんなことなら自分で実物を観るわ!と、フェルメール巡礼を増やす目的なら、十分効果はあるかもしれませんね。
玉青さんとともに、フェルメールへの旅
★★★★☆
フェルメールへの興味よりも、有吉玉青さんの文章を読みたくて手にとった。
玉青さんのしっとりとしていながらきっぱりとした筆の運びが大好きだ。
しかしながらこの作品は小説ではなく、彼女の個人的なフェルメールへの思いを
気取らずに綴ったものであり、予想はしていたが玉青さんの素の顔がのぞく。
いつもとは違う茶目っ気たっぷりの物言いに引きこまれ、存外楽しませてもらった。
大好きなフェルメールを見に諸外国へたずねて行く。日本で展覧会があれば、
いそいそとフェルメールに会いに行く。
実に16年をかけて、現在見られる35点のフェルメールを見る。
何も難しいことは書いていない。
ただ、大好きな画家の絵を見、思う。その行為の単純明快な喜びに、読む私も
引きこまれてしまう。
七面倒な講釈も蘊蓄もない。描きこまれた細部を見、実物に会えた感慨や気付きを
素直に語る。
その時々の彼女の心の内も吐露されている。人間関係に悩み、絶望していた頃のこと、
説明よりも沈黙……言葉が思いに追いつかず、言葉にするほどに嘘になるという
もどかしさもてらいなく書く。
いっしょにフェルメールを見た友人とのこと、さらりと記された感謝や通じ合う気持ちの
心地よさなど、飾らない人柄がかいま見られて好ましい。
画家にまつわる本にありがちな、絵をカラーで何ページもはさんだ体裁をとらず、
あくまでも玉青さんのフェルメールを見たときの思いや、新たな自分なりの発見を
主体に話は進む。
フェルメールの絵は、ちいさな数センチのモノクロ印刷でところどころにあるだけ。
それがまた、読み手に、ちゃんと今度カラーの画集で見たいなという気にさせるから
不思議なものだ。
私もまた、すこし、フェルメールについて感じていた個人的な思いを深めることができた。
あと1点、<合奏>が一日もはやく見られるといいですね、玉青さん。