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Salem's Lot

価格: ¥677
カテゴリ: マスマーケット
ブランド: Pocket
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「古い皮袋に新しい酒を注いだ」現代的人間ドラマではあるが... ★★★★☆
「シャイニング」と並んでS.キングの代表作とされる作品。欧米で良く採り上げられる題材を、S.キングの筆力で、あたかも実在の物語であるかの様な印象を読む者に与える辺り流石と言える。特に、写実的な描写の積み重ねで、まずアメリカ東北部に架空の町を創ってしまう点が作者らしい。しかも、邦訳ではジェルーサルムズだが、そのものズバリの名前エルサレム(Jerusalem)と言う町を。

町の呪いの中核はかつて忌まわしい事件が起きたマーステン館。主人公の作家ベンは子供の頃、その現場を観た事がある種のトラウマとなって、町に舞い戻り、町をそして館を描こうとする。ベンが町に来た事がキッカケとなったように、犬の惨殺、町の若い兄弟の失踪と不審死、死んだ少年を埋めた墓堀人の不審死と不気味な雰囲気が次第に盛り上がる。そして、その墓堀人を教え子に持つ老教師マットが怪異現象を体験するに及んで、事態は最早錯覚とか妄想とは言えない現実の恐怖となる。この辺の展開は巧いと思うが、キリスト教徒以外にとって両刃の剣でもある。十字架とか日光、杭、ニンニク、聖水と言った御馴染みのアイテムを持ち出す程、形式に拘る必要があるのだろうか ? 魔の伝説を「古い皮袋に新しい酒を注いだ」現代的人間ドラマとして再構築したいとの意図は分かるが、少年マークの造形を除くとさほどの新鮮味は感じなかった。ホラー作家の第一人者として、「神と悪魔」の二元論以外の新しい恐怖の源泉を創り出す事は出来なかったのだろうか ?

町とその歴史を創り出し、更には町の住人達とその様々な人間模様を創り出す筆力がありながら、肝心の「恐怖」がゴシック・ホラーの域を出ないと言うのは(意図したものであっても)如何なものか。物語の細部が良く出来ているだけに惜しい。
キングの描く吸血鬼の恐怖。映画の中のモンスターを信じられるか? ★★★★☆
本作は、S.Kingにとって「キャリー」に続きかかれた2作目であり、初期の傑作のひとつだろう。いわゆるクリストファ・リーが演じたような古典的な吸血鬼が現代に現れたとして、我々はそれを信じられるほどの余裕を持っていない。アメリカでは、まだ多くの国民がキリスト教徒で神を信じており、非科学的な事柄についてもそれを受け入れる宗教的な土壌を持っているが、無宗教な日本人はもはや吸血鬼やゾンビなどの存在など、冗談かパラノイヤとしか感じられない.小野不由美が「屍鬼」で、日本における吸血鬼、Living dead像を示そうとしたが、相当苦しいものとなって、ぜんぜん恐怖の対象とならなかった。しかし、この小説の中では、吸血鬼は悪であり、悪魔に近い存在で、Living Deadは厄介な怪物で、大陽の光でも、十字架でも、ましてや杭を打ち込んでもかんたんには消え去らない。未知なもの、不確かなもの、常識と違うものがおこったときにそれをありのまま受け入れ、常識を覆すのは非常に難しい。そういう人の心の弱さにつけ込む恐怖を描くKingのイマジネーションには毎回、感嘆させられる.
「屍鬼」に遠く及ばない ★☆☆☆☆
 怖さがない。背景にしっかりとした宗教がある場合とそうでない場合の違いがまず一つ目の理由だろうが、一番大きいのは容赦のない人間観察能力、及びそれを表現する力の差だ。はっきり言って上巻でやめようかと思ったが、いや、これから怖くなるのかもしれないと思い直して最後まで読んでみたが、期待はずれだった。
 まあ、こちらはハード面の怖さ、小野氏の作品は総じてソフト面の怖さであるから、どちらを怖いと思うかはそれぞれだろうが。
「モダンホラー」時代の隠れた傑作 ★★★★★
「キャリー」は映画を先に見てしまい、後から原作を読んだので、どうしてもあの新聞記事の多い構成に入り込めなかった。
しかし、本作はまず原作を読んで、3時間以上のTV版映画を見た。キングには珍しく、原作の雰囲気がある映像化だった。
2作目で吸血鬼、3作目で幽霊屋敷を扱って、「モダンホラー」の旗手と言われるようになったが、本作は”モダン”という名称に恥じないない出来映えである。
派手なシーンは少なく、ただ淡々と人々が吸血鬼に変わっていく様が、手を変え品を変え描かれていく。
日常の中のふとした恐怖を積み重ねて、次第に大きな災いに変化していく描写は、すでに本作でたっぷり味わえる。
「キャリー」と「シャイニング」という派手な作品の狭間に隠れているが、とてもキングらしい作品である。
ほの暗く、悲しい物語 ★★★★★
 Kingが発表した2作目となるこの小説を手に取ったのは、実を言うと村上春樹があるエッセーの中で、‘Carrie’に比べると小説の腕が格段に上達している、と評価しているからだった。
 この小説のPrologueは、親子と見まがわれる男と男の子の話から始められるのだけれども、実を言うとこれは後日談であると言う事が、Prologueを読み進めていくと分かってくる。然し、子供はともかくとして、その大人の男性が誰であるのか非常に興味があった。そしてKingは考えられる可能性の中で最も残酷なplotを選択していく。
 たまたま幼少の時期を過ごしたSalem’s Lotに戻った作家のBenが出会った女性が後にGirlfriendとなるSusanであった。彼女はBenの愛読者であり、彼女が図書館で借りていたBenの本にサインをしてもらうところから彼らの交際は始まる。Suzanにはboyfriendモドキも居たのだけれども、そのboyfriendモドキを捨てるようにして、Benに接近していく。そしてそのまま愛が進行すれば普通の恋愛小説なのだが、Kingだから決してそういう展開にならないだろうと想像する事は容易だろう。
 さて、この2人に何が起こるのだろうか。長さも‘IT’や‘The Stand’に比べればずっと短いのでとっつきやすいのではないだろうか?
 然しKingの想像力には何時ものように驚かされる。奥さんであるTabithaが、偶然に口にした、「ドラキュラがこのアメリカに、メイン州に現れたらどうなるのでしょうね」、と言う言葉に創造力を駆り立てられた、とIntroductionで記しており、また奥さんに感謝しているとも書いている。この作家にして、この奥さんあり、と言う事だろうか……。