本当にすごい
★★★★★
彼女は淡々と日常を書き綴っています。
余命何日という中、グイン・サーガの続きに思いをはせ、
それを書けない自分に焦り、
それでもライブに出て、大好きな着物を着て、
マッサージを繰り替えす。
人はあと何ヶ月・何日と言われても、
こうも普通に生きようとするものなんだなぁと思いました。
変に海外旅行や普段やっていないことはできないんだと。
自分と等身大のような気がして一気に読みました。
私もこんな風に最後を駆け抜けたいと思える一冊でした。
中島梓さん、ありがとうございました。
日記をここまで読ませるとは
★★★★★
書き出しにもあるように普通の兼業主婦の55歳の女性の日常と闘病の日記でありながら、最後まで引き込まれて夢中で読んでしまいました。
彼女の主婦としての手まめさ、家族への気配り、闘病の大変さのなかで食べることが可能な美味しいものの描写が楽しい。女性らしい可愛らしい小物に喜んだり、なにげない友人とのおしゃべりに幸福を感じたり、ライブや執筆に対するこだわりには少し痛々しい感じも。
ただの闘病記ながら、着物の柄の詳細な記載や食べたもの作った料理の内容、味なんかも細かく記録されていて読みものとして読み応えがありました。
がん患者の家族を看取りましたが先にこの本を読めていたら、もっと看病の仕方も変わったかもと思えました。
最後まで「表現者」たらんとした作者に敬意
★★★★★
5月26日の訃報のショックが蘇ってきました。
「ガン病棟のピーターラビット」のあとがきに、すい臓がんからの転移と言うことがちらっと書かれており、これはまずいのではと思いました。
この本にも書かれていますが、その場合は1年もつのも難しいと言うのが常識です。
その意味で行けば、作者は非常に頑張ったと言うことでしょう。
その訳は、この本の中にも何度も出てきますが、小説が書きたいと言う強い執念ではなかったかと思います。
この本は、先の「アマゾネスのように」「ガン病棟のピーターラビット」とは違い、日記体で書かれています。
毎日ではなく、書ける時に書き継ぐと言う形のため、半月以上も間が空いていて、その間の病状の悪化を思わせるところもあります。
身体の痛みと食えない辛さ、やせ衰えてゆく自分の身体に対する苛立ちが、ひしひしと伝わってきます。
それでも、小説を書き、ライブを重ねる姿には、「表現者」であり続けようとする、そして、「表現者」でなくなったら自分でなくなってしまうと言う作者の気持ちが痛いほど伝わってきます。
この本を読んでいて、ページが進むに従って、読むのが辛くなってきました。
「もう良いよ。そんなにしてまで書かなくても。」そう叫びたくなりました。
今、手元に薄っぺらい最後の「グイン・サーガ」があります。
後1か月の命とも知らず、痛みに耐えて書いた最後の本を、これから読みたいと思います。
長い間ありがとうございました。
どうか、ゆっくり休んでください。
まさに命の日記です!
★★★★☆
2009年5月26日、栗本薫=中島梓氏が、56歳の生涯を閉じられました。
私にとって中島梓さんはNHKの連想ゲームに出演されていた才女のイメージが最も強く
栗本薫=中島梓さんだと言う事すら最近になってやっと知ったくらい著書も読んでいませんでした。
ただ若すぎる訃報を知ってこの本だけは手に取りました。
2008年にすい臓がんが肝臓に転移し、抗がん治療をしながらも大ベストセラーである「グインサーガ」や
「東京サーガ」シリーズを精力的に執筆し続け、そしてその合間に最期の闘病記となる本書を
2008年9月から2009年5月の意識を失う直前まで書き続けられました。
本作品の中には治療過程、毎日の様に押し寄せる痛みとの戦い、
余命を宣告されながらも生きたい・でももうこれだけ生きたから十分ではないか?等と
揺れ動く気持ちの葛藤も克明に記されています。
そばで支えるご主人・息子さんもどれだけ辛かったかと思うと言葉になりません。
死の直前まで書くことを辞めない、その作家としての本能に感動させられました。
ご冥福をお祈り申し上げます
生き抜こうとする作者としての意思の力
★★★★☆
乳癌、膵臓癌に続き、三度目の転移で最後の日記。それでも書き続ける作家としての視線が鋭い。正直、FFやヤオイは全く駄目なので栗本董の良い読者ではなかったが、文学者的な視線からの中島梓名義の評論やエッセイはよく読んでいた。
感想として作者は発病して最後の年末あたりにはもう覚悟をしていたのではないかと思わせる。執筆と演奏へのこだわり、外出時の着物や服装の描写、「団欒としての夕食」に抵抗を持ちながらの料理や食事の描写が細かく記述されており強く生き抜こうとする意思は読むものの心を打つ。お奨めの一冊。