続編もあるから
★★★★☆
これを読んだら、続編の「転移」も一緒に読まないとね。
序章の「アマゾネスのように」は文庫化されてるから、そちらも一緒に。
ブレーキの無い人生を駆け抜けた天才の早すぎる死去を悼みます
★★★★★
筆者の代表作だった「グイン・サーガ」の102巻まで読んで、一種の愛想尽かしをしていました。
それというのも、天狼プロ設立・マイHP設置あたりから一種の躁状態になったようで、アルド・ナリスの死去前後で酷く文章が粗雑になり、当時のNifty・Serv上のラノベフォーラムで批判続出・2ちゃんねるでもバッシングがあった時期に、「当初設定が変わって何が悪い。ワタシがやおいの元祖だからその要素が入るのは当たり前。文章が荒れたというのは勝手な判断」といった「あとがき反論」で正面切って論戦しなかったため、別名(中島梓)で評論を書いているにも関わらず、身内のパティオでは個人攻撃(Nifyフォーラムの批判的メンバーが対象)を示唆したという「噂」あり、付き合いきれない人だな、と思ったからです。
(当時、岡本かの子、有吉佐和子と比較されていました)
でも、本書の評判を聞いて一読したところ、相変わらずの「栗本節」ながら、あとがきでは「若いころの乳がんは傲慢に乗り越えてしまったけれど、今回の入院は堪えた。弱者側からの視点が判った気がする」との記述があり、もともと才能は溢れんばかりのひとだけに、今後の活躍と作品に期待していたのですが、少し早すぎる死去でしたね。ご冥福をお祈りします。
また、ご主人がひと癖ある方(「太陽風交点事件」参照)なので、今後のプロダクションの行く末が少し気になるというか… 非常に多作なひとだけに版権と印税だけで収入は十分だろうけど、なにかひと騒ぎありそうで心配です。
冥福を祈りつつ
★★★★☆
この本の著者は亡くなっている。
それが、不思議な感慨をもたらした。
がんは私にはとても身近な病気だ。だから、とても無視できないと思って手に取った本だった。
読み進めるにつれて、著者が生と死を受け入れていく、心が澄んで落ち着いていく過程が見えてくる。
食や入院環境について、自論を書くときの著者は「わがままだけど」と必ず前置きしている。
だから、読まれてどう思われるかを案じながらも、それでもなるべく正直に、一人のがん患者の体験記を著わそうとしたのだと思う。
その上、最終章からあとがきまで読んでしまうと、ただ心から祈りたくなった。。
この人が、じたばたしたかもしれないけれど、心残りもあったかもしれないけれど、少しでも穏やかに豊かにその後の時間を過ごされたのだったらいいなぁ。と。
「生死一如」
★★★★★
「アマゾネスのように」は闘病記らしい作品でしたが、こちらは闘病期間中のエッセイ集と言った趣があります。
更に言えば、その文章には「死」を意識した冷徹さがあります。
乳がんから17年後に再発したすい臓がん、そして肝臓への転移が、この作品を書かせているのでしょう。
「宗哲さんのこと」と言うこの本の中では異質な章があります。禅僧宗哲との出会いと、その哲学に感銘した作者の心境が書かれています。それこそが、今作者の置かれた状況に一番マッチした感慨なのでしょう。そして、その心情が、溢れんばかりにこの本を満たしています。
作者のデビュー当時からのファンとしては、「何もせずにいれば、『あと半年、いやそこまでもたないかもしれない』」とか、「末期ガン患者」と言う言葉は、聞きたくなかった言葉です。
いつまでも元気で「グイン・サーガ」を完結させて欲しいし、「グイン後伝」も書いて欲しいと思います。
「ヤーンのみ手」にお任せするのではなく、もっと生きて私たちを楽しませて欲しいと思います。
「あとがき」の壮絶な文章に言葉を失いました。
闘病中の方にも読めると思います
★★★★☆
作家、評論家の他に多岐にわたる楽器演奏、ライブ活動、脚本家としてマルチな才能を持つ著者は、
17年前の乳がんとは別のがんを発症、手術することになった。
この本は、がんの発見から手術、入院から、退院して体からすべての管がぬけるまでの闘病と心に映る事象を綴ったエッセイ。わかっているつもりだった「死」と隣り合わせになってみて初めて意識した「死」と「生」。
一歩はなれた所で自分を見つめる中島だからこそ、同じ病で悩む患者の助けになると思う。