残念な擬音「ひらり」が『コクン」では台無しです
★☆☆☆☆
この「まんがで読破シリーズ」は,バラエテイアートワークスと言う集団(おそらく、編集者と漫画シナリオ執筆者と作画家の集団)
の共同制作の形をとっている。そのため,ひとりの作家が,小説を漫画化するのとは違い,比較的フラットで、原作に忠実に描かれることとなる。
脚色ではなく、まさしくまんが化である。そのいい点もあるが,悪い点は,原作の大事なポイントを外してしまうという事態も起こることだ。
その面で,この『斜陽』は失敗に終わってしまった。太宰の『斜陽』は冒頭の描写が命である。
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
と幽かな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、
すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、
またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた
この部分でもっと大事な単語は何か,もちろん「ひらり」である。
この「ひらり」と言う擬音を漫画表現の中で「コクン」として表わしては、台なしであろう
漫画だと理解しやすいだろうと思うけど、全然そんなことないです。
★★☆☆☆
太宰治の代表作のひとつの漫画版。
だが、元々太宰作品自体が難しいのかもしれないのですが、漫画にしてもよく理解できないのです。
ひとことで言うと「分かり辛い」。
第二次大戦は日本の敗戦を以って終了した。
が、国民にとってはそれからが塗炭の日々だった。
進駐軍が来て、全てが変わった。思想も価値観も有り様も。
日々の糧を得るために元貴族・華族のプライドも捨てねばならない一家。
田舎に移ってのみすぼらしい日々は希望の見出せない長い長いトンネルのようだった。
ちょうど「時代の変わり目」ではこのように新時代に適合できない旧時代の人間は自然に淘汰されていくことがある。
明治維新を迎えて、かつての士族が特権を次々と奪われて没落していったのと同じように。
それを「沈み行く太陽」という意味で「斜陽」と言いたかったのか?
しかし、陽はまた上るものであるということも事実。
「栄枯盛衰」「諸行無常」こそが真理であるように感じる。
むしろ「平家物語」に通じるお話かもしれない。
やはり漫画では限界がある
★★☆☆☆
漫画化によって作品が分かりやすくなるのかという興味もあって手に取った。
結果は、活字で読んだ場合よりも一体何を伝えたいのか、かなり理解しにくく、太宰の作品に関してだけみれば漫画化は失敗のようが気がした。
分かりやすさを売りにしてこうした作品を中学生くらいに読ませてしまうと却って読書嫌いなってしまう虞があると思う。
太宰文学はやはり奥が深いというか難しい
★★★☆☆
マンガにされているので、わかりやすい。
しかし、結局なにが言いたいのか何度も読み直さないと分かりにくい。
太宰治が裕福な家庭で育ったのは知っていた。
この作品は、自分と第二次世界大戦以後の貴族(華族)の没落と自分を重ね合わせている。
読み終わるとなぜか心にモヤモヤが残る。
マンガでも太宰文学の雰囲気は十分に出ている。