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神国日本 (ちくま新書)

価格: ¥756
カテゴリ: 新書
ブランド: 筑摩書房
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【セブン-イレブンで24時間受取りOK・送料0円!】 著者/訳者名:佐藤弘夫/著 出版社名:筑摩書房 シリーズ名:ちくま新書 591 発行年月:2006年04月 関連キーワード:シンコク ニホン チクマ シンシヨ 591 しんこく にほん ちくま しんしよ 591、 チクマ シヨボウ チクマシヨボウ 4604 ちくま しよぼう ちくましよぼう 4604、 チクマ シヨボウ チクマシヨボウ 4604 ちくま しよぼう ちくましよぼう 4604 日本は神国である。-誰もが耳にしたことのあるこの言説。しかし、われわれは、「神国日本」がいったい何を意味するのか、本当に知っているのだろうか?その展開を実証的にたどってみると意外な事実が見えてくる。たとえば、「ナショナリズム」を高揚させるイデオロギーと思われがちなこの思想も、中世においては、必ずしも、他国に対する日本の優越を説くものではなかったのだ。その他、天皇・仏教的世界観など、さまざまな観点より、古代から中世、そして近世・近代に至る神国言説を
古代〜中世にかけての「神国思想」の展開を追う ★★★★★
タイトルがなんか危ない本に思えるし、実際政治的にホットだからということで筆者もあえて狙っているのだろうけど、中身はタイトルから予想されるような危ない本ではない。
古代から中世にかけて、神仏習合前後で「神国思想」がどのように展開してきたか、を丹念に調べた歴史の良書である。

本書のメインメッセージをまとめると、「神国思想は、本地垂迹説における仏教優位を逆転させるために生まれた」という認識は誤っている、となるだろう。
むしろ神国思想と本地垂迹説は相補的であるというのが本書の結論だ。

本地垂迹説では、神というのは、日本が辺境の地なので仏法への導きのために現れたものだとされる。
日本は辺境なので、他の地域に比べても強力な導きが必要であり、そのため「神」となったのである。
当然、神道と仏教は相互に協力し合う関係にあり、例えば当時は神道で葬式を上げたりさえした。

そして神国というのは、「導き手が「神」として現れた地域」程度の意味しか最初はなかったのである。
日本のみが神国なのは、日本以外の地域では「神」以外の導き手、例えばインドなら釈迦、が現れるからである。
ゆえに、神国と優位性は別段の関係はないのだ。

天皇も、古代はそれ自体崇高な神であったが、神国思想では「導き手の一人」に格下げされてしまう。
そのため、不適切な天皇は排斥されていったし、それも可能になったのである。


読み物として読んでいて普通に面白い。おススメ。
日本の神々についてアカデミックな考察を試みた力作 ★★★★★
 神国思想が論じられる場合、それを容認するか否定するかというスタンスが先
にたち、読む前から話が見えている著作が多く、しかもあまりにも底が浅く、
客観的情報が少ないことから、この手の書籍を手に取ることはありませんでした。
しかしかく云う私自身も日本=神国の主張が実際いかなる論理構造、歴史的背景
についての知識は皆無でした。

 本書は神国思想をあれこれ評価する以前に、神国思想そのものの内容分析に、
腰をすえて正面から取り組んだ意欲作です。本書の下敷きとなったのは著者に
よって1995年に発表された論文だそうです。切り口としては今読んでも斬新で、
多くの示唆に富んでいると感じたのですが、当時の専門の研究者からは完全な
無視と黙殺をもって迎えられたそうです。その話だけでも自国の思想・文化史に
ついて日本の研究が停滞していることが窺われます。これは研究者たちの果たす
べき役割を放棄した怠慢ともいえるのではないでしょうか。

 内容は、停電で真っ暗な部屋でいきなり蛍光灯がついて目の前が開ける感じです。
日本の神々と仏教、儒教の関係性が実に分かりやすく論じられている反面、
ハードカバーの学術書にしても遜色のない密度をもっています。もしあなたが
日本人と神の関係性について一歩引いて、冷静に考えてみたいと思うなら必読の書です。
イロメガネを外して見ることの大切さ ★★★★★
「神国」というと自国の絶対的優越を説く排外的ナショナリズムとすぐ結びつけてしまいますが、著者の案内によって中世の源流まで辿りますと、全く異なる世界が見えてきます。丹念に文献を読みこなし、実態に即して全体像とその変遷ををつまびらかにしてゆく語り口は誠実そのもの。
その成果といってよいかと思われますが、基層信仰としての神と普遍信仰としての仏を対置して日本宗教を見る図式の危うさにも気づかされます。
また文章もよくこなれており、稀に見る良書と思います。

今日、脱イデオロギーの時代といわれますが、なお左右の政治的イデオロギーが先に立ち、イロメガネを外すことができない人たちが、とくに読書好きのインテリにはまだまだ多いようです。それは生理的ともいえそうですが、まずは実態と真摯に向き合うことが大切でしょう。「日本」を知るために、政治的予見抜きに、是非読み込んでいただきたい一冊です。
イデオロギーとは別の問題 ★★★★★
 「神国」というのは、古代史に端を発すると見るのか、蒙古来襲に端を発するのか、意見はあろうが、近代の一時期に盛んに使用されたイデオロギーとは別の素朴な、日本人の心情に基づいていることが分かる。
 確かに、神道という宗教を別にしても、日本人にか、山や川、木々やこずえに「神が宿る」という素朴な心情を持って生活して来た。今はなき祖父母の話などには、イデオロギーとか、国家とは別の自然に対する信仰心があったと思う。
 そうした素朴な心情が元になっていることを踏まえて「神国」としての日本を論じている。天皇制との関係に強く言及していないのも、そうした素朴な日本人の心情に配慮してのことと思う。
 題名だけ見ると、右翼の本と思われそうだが、そうではない。
 素直に溶け込める本である。
「神の国」の真実 ★★★★☆
中世日本思想の史料を再検討することで、「神国」概念をめぐる通念(と言っても、日本史大好きな著者が考えているほど一般的な言葉でも発想でもないと思いますが…)を根本的にくつがえし、新たな「神国」像を提示する本です。著者のわかりやすい説明と軽い語り口が絶好調で、すらすら読めます。
多くの場合、天皇を中心とした排他的国粋主義、「蒙古襲来」を契機として盛り上がったウルトラ・ナショナリズムとして理解されてきた「神国」思想。こいつは事実誤認の幻想だ、と論じられます。キーとなるのは中世日本を席捲した「本地垂迹」の思想、すなわち、日本の神様たちは国の外に超越的に存在している仏・菩薩様たちが、ありがたくも姿をかえて出現した下さったものである、という観念です。「神国」といっても、それは外部の「仏教(法)」を排除して成り立つ我が国主義のナルシシズムなのではなく、むしろあくまでもワールドワイドな畏怖すべき「仏法」を前提とした上での、自国文化の独自性の主張だったらしいのです。天皇にしてみても、古代とちがいお国と同一視されるような絶対的な存在だったのではなく、中世では、摂関家や大寺社の利害調整がスムースにいかなくなったり、あるいは対外的な危機が訪れたときに、「神国日本」のとりあえずのシンボルとしてかつぎ出されていたにすぎなかったようです。
お国自慢のナショナリズムは、国際協調のインターナショナリズムと矛盾しないんじゃないか、と著者は指摘したいのだろうと思います。例えば中世なら、「神」という「内」が「仏」という「外」と両立していたのだから…。近世・近代以降の「内」への閉じこもりを最終章で駆け足でふり返った著者は、おそらく現代ふつふつと湧き上がるナショナリズムも念頭におきながら、一介の思想史家としての立場をわきまえつつ、冷静な思考を展開しているような印象をうけたので好感触でした。