オーラルヒストリーの極み
★★★★☆
当事者たちへの徹底的なインタビュー、取材と聞き書きによる現代史。その迫真性に圧倒される。従来の公文書中心の歴史ではなくこうした記述手法はオーラルヒストリーといって政治史として確立しつつあるという。それは、個人が迷走し暴走するというのが歴史の真実なのだと教えてくれる。だから本書は、膨大な数のしかも互いに矛盾するような言い分や発言をありのままに記述していく。ただ、われわれ日本の読者はアメリカ人読者と違ってTV等のマスメディアに日常的に接したわけではなかっただけに膨大な数の登場人物やその時々の状況を消化しきれない。この本を読みこなすには、人物ごとに写真やエピソードなどを調べてメモを作った方がよい。できれば、翻訳出版社側に人物索引をつけるなどの配慮が欲しかった。それで星ひとつ減点する。
正義を謳う国の正体は「否認」の国だった
★★★★★
原書タイトルを直訳すると「否認の国」になります。
イラクで起きている現実を「認めない」米国政府(特に本書の場合は
ホワイトハウス)に対する皮肉なのでしょう。
著者がそういうタイトルを付けた理由を読者は1ページ1ページ
読み進めることによって理解していきます。
日本の縦割り社会も散々な非難の的になっていますが、此処で
描かれる米国政府(ホワイトハウス)のそれも本当に酷い。
特になわばりを主張する割には何もしないラムズフェルド国防長官
(尚、07年9月現在では前国防長官)と、それがネックになっているにも
拘わらず改善も解任もしない大統領。
そして縦割り故にイラクをどうするか?ということを国務省も国防総省も
そして現地司令部それぞれが考える。無駄な仕事をしているのです。
そこで得た結論が活かされるのであればまだ良いのでしょう。
が、此処で得られた結論は(詳細は下巻で述べられています)侵攻から3年
権限委譲から2年経っても活かされることがありませんでした。
開戦、そして戦後処理に政権内部がどう取り組み、何を成し何を成さなかった
のか(少なからず本書を読む限りでは成したものはない)知ることが出来ます。
又、我が国も米国政府に対イラク戦争では協力しています。
協力をする以上は相手の内情を知っておくべきだと思うのです。
そういう点でも一読に値すると思う次第です。
歴史は密室で決まる
★★★★★
前2作がブッシュにすり寄り過ぎたと批判されたこともあり、名誉挽回とばかり現政権を突き放し、食らい突いた気迫はうかがえる。まず、この年でこれだけしつこく取材をし、緻密な検証と構成のうえに大部なドキュメンタリーを書き上げるそのエネルギーに敬服する。ウッドワードか船橋洋一かといったところだ。
ブッシュ政権がなぜイラク戦争を始めたか。その意思決定の深奥を探るために著者は徹底して米政治権力の中枢に迫っていく。取材の舞台は初めから終わりまでアメリカ国内(ほとんどがワシントンDC)であり、著者は米軍に従軍したわけでもなければ、イラクの地を踏んでもいない。
それでいいのだ。記者の原点は足で稼ぐ、だが、どこへどう足を運ぶかは頭が決める。政治報道は決して体当たりの肉体労働ではない。派手で手っ取り早い従軍報道が今となってはいかに空疎なもので、権力の深奥に迫る作業がいかに地道で、高度な知的能力を要求するかがよく分かる。
ただし、イラク戦争の実相を知りたい読者は合わせて『イラク占領』(パトリック・コバーン)や、『イラク戦争の深淵』(国末憲人)も読むべきだろう。まるで異なった視点をクロスさせることで立体的な像が結ぶに違いない。
それにしてもコンドリーザ・ライスの無能ぶりをここまで書いて大丈夫なのだろうか…。
この本で描かれているラムズフェルドはまるでダース・ベイダーのよう
★★★★★
ブッシュ政権に関するウッドワードの本は『ブッシュの戦争』『攻撃計画』に続く3冊目。原著のタイトルも"State of Denial: Bush at War, Part III"。著者が言いたいことは、占領政策で1)脱バース党化を広範囲に実行しすぎたため、官僚たちすべて反米になってしまったこと2)イラク軍を買収するのではなく解体してしまったことで治安維持に使える手駒がなくなってしまったこと3)イラクの有力者会議を無視して指導層を取り込めなかったことーという3つのあやまちで泥沼化してしまった、ということか。前作ではブッシュ・ジュニアのリーダーシップに対するさりげない賛辞も見受けらたが、イラク占領が泥沼化した現在、米軍という武器を扱うには、あまりにも慎重さと経験に欠けた人物という感じで描いている。同じく、前作でさんざん描かれていたラムズフェルド国防長官とパウエル国務長官の確執はいよいよ深刻さを増し、二人が大統領を挟んでブリーフィングを行なう場合でも互いに口はきかず、ブッシュが議論の上での結論を得るということができなくなっていたという。
ウッドワードは湾岸戦争についても『司令官たち』を書いているが、大量破壊兵器がないと思ってシニアはイラクに攻め入って、実はフセインが粗製の核爆弾で実験する寸前だったと知ってチェイニー国防長官がすさまじい衝撃を受けたと書いています(p.327)。今回、大量破壊兵器はあると思ってジュニアは攻め入り、それを探したのですが見つからなかったというのは、マルクスではありませんが「歴史は二度繰り返す、最初は悲劇として、二度目は喜劇として」とつぶやきたくなりますね。