これが真実なのかもしれないが
★★★☆☆
しかし、一つも楽しくなれなかった。
一茶に感情移入することも、その生き方に共感することも、正直難しかった。
多少なりとも趣味で、句というものに触れ、だからこそ、元々フアンであった藤沢周平の一作品の中に、一茶を見つけたときには、少なからず興奮して、期待を持ってこの一冊を手に取った。
しかし、これが確かに一茶の人間像、人物像なんであろうが、さすれば一茶とは、正直私はとうてい好きになれる人間ではない、と言う気分になった。
一茶が江戸で過ごしても、西国を旅しても、どこにいても、彼の生家新潟の、重く雲が垂れ込め、雪に閉じ込められた日常が、いつもいつも、一茶の頭の上を覆っているような、そんな人生であった。
これが彼の句作に必要だったのかもしれない。
と言うか、だからこそ、血を吐くように、ほとばしるこの世への、不遇の思いが機関銃のように、滝のように、怒濤のようにほとばしったのだろう。
自分自身も決して恵まれてはいないな、と言う思いがある私は、だからこそ一茶を見るとまるで自分の嫌な部分を見せられているようで、たまらなかった。
正直、読後決してさわやかとは言えない、一茶の青春であり、成熟であり、老年期であった。
新装版・風狂人の俳諧魂
★★★★★
俳聖芭蕉と違って、一茶は親しみやすい俳句を作る俳人であるという常識をもつ我々である。何の説明もない「一茶」というタイトル。上(14章)・中(9章)・下(12章)の名称がない。これは一茶の評伝でもなく、俳句の紹介で終始しているのでもない。風狂の人として全国各地を行脚する放浪人として描かれている。「僧とも俗ともつかない薙髪の男」と原文にある。本書は評伝・伝記ではない。四国は讃岐金毘羅・観音寺、伊予松山に俳諧紀行しているが、こちら特有の地方色は表出されていない。
ないものねだりをしてはいけない。作者の意図したものは、一茶の生き方「むしろ他郷で野垂れ死にすること」を願って旅しながらも、最後は故里にもどり、幾人目かの女を抱いて、六十五歳の生涯を閉じる。一茶の生涯は一体何だったのか。それは俗中の俗に流されながらも、生涯二万句を詠んで後世に残した【風狂人の俳諧魂】ではなかったか。
この小説を結ぶ一文は次のように何事もなかったように、何かの鼓動を感じさせて終る。
雪はまだ降りやまずに、柏原の山野を白く包みこんで動いていた。
食わず嫌いでした
★★★★★
それがしは、藤沢周平著書読破に後何冊かに迫っている。
しかし、残りの本には何かしらの理由があって後回しになったものばかりだ。
その訳とは、「実在の歴史上の人物を扱ったものが嫌い」、先の「白き瓶 長塚節」、「回天の門 清河八郎」がそうだ。
しかし、嫌いと言えども、一旦著者の本を読むとその人物に引かれ嵌り、更にその人物の別の本まで購入し読んでいる。単なる「食わず嫌いか?」不思議で現金な者だ。
さて今回は「一茶」。
「小林一茶」については全く無知であった。生涯、何でも題材にし2万もの句をつくったという尋常ならざる風狂の俳人。2万もの句の中で確実に知っていたのはたかだか10句前後だ。情けない。
・大根引き 大根で 道を教えけり
・われと来て 遊べや親の ない雀
・雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る
・やせ蛙 まけるな一茶 ここにあり
・名月を とってくれろと 泣く子かな
・春雨や 牛に引かれて 善光寺
などなど
ところが、この人物、ここまで哀れな人物であったとは全く知らなかった。これは驚きだ。「目から鱗」というのはこういうことか?「無知」とはなんと情けなく、恥ずかしいことか。
■人物像:
現・長野県信濃町の農家の長男として生まれた。幼少に生母と死別、その後継母と合わず、15で江戸に奉公。職業を転々としその後何処で何をしていたか10年間消息不明。51で、夢であった「江戸の俳諧師」を諦め、生まれ故郷に無念の都落ち。
・秋寒や 行先々は人の家
・秋の風 乞食は我を 見くらぶる
ここまで住処も妻も持たず、食うや食わずの生活。継母、義弟と財産分けで大もめ10年。やっと定住場所を得、54歳で28の女子と結婚。妻、子供4人を次々と亡くし、再婚の妻には2ヶ月で逃げられ、その後3度目の結婚。65で他界。最後までお金や運に恵まれず貧乏、不幸連続の生涯。ここまで人物を知ると、句の見方も変わってくる。
「・・・そこのけそこのけ 御馬が・・」の“御馬”が、どうして“お馬”でなく“御馬”なのか、「名月を・・泣く子かな」、「親のない雀」の意味も理解した。
実は、今は無きそれがしの実家は、一茶の生まれ故郷からかなり近いところにあった(長野市の北、野尻湖のすぐ近く、黒姫駅がある信濃町)。駅で言うと3駅南である。そう、今に思うと極近。帰省の際のはいつも素通りしていたことになる。学生時代「近くである」ことはうすうすとは知っていたがその程度。一茶と良寛もダブっていた。しかし、これを読んだ後は思いっきり「一茶」について勉強した。即、別の本も注文した。
しかし、一茶の生涯は1763-1828年(明和〜文政の江戸時代)。明治維新もペリー来航も更にもっと後の時代。田舎百姓を追われた15の少年は江戸でさぞ苦労したことでしょう。
「mm−、“知る”とは楽しいことだ、読書の醍醐味ですかな?和尚 ハハハ・・」
さて、今年の夏、「一茶記念館」でも行って来よう。
■お薦め度:★★★★★(一茶の句の読み方が変わります、是非)
負けるな一茶
★★★★★
いぶし銀のような筆を持つ名手藤沢周平による俳人小林一茶の伝記的小説です。あとがきによると藤沢周平が、結核療養中に小林一茶に興味を持ったようです。生涯2万句と多作であり、何でも詠んだ一茶ということである。作品では、郷里から江戸に出てきて、俳諧修行をし、晩年になっても、施しを受けながら旅を続けた一茶の姿が描かれています。当時の師匠に何とか取り入ろうとし、江戸で名を上げようとしたが、それも果たせず、郷里に戻っています。老いてから、老後の生活を心配し、弟の田畑の半分をだますようにして、取りあげています。また、老いてからも何人も若い嫁をもらうなどの好色ぶりも見られます。非常に俗っぽいといえば、俗っぽいですが、とても人間的であるし、年をとってからの敗者としての寂しさは、とても共感できるものがあります。サラリーマンなどは、我が身に引きつけて共感できるところがあるのではないでしょうか。藤沢周平作品は面白いですし、この本は、小林一茶のあまり知られてない一面を知り、その作品を知るのにとても大切な本だと思います。俳句に興味のある人には特にお薦めです。
俳人一茶の生き様
★★★☆☆
一茶というと、「痩せ蛙まけるな一茶是にあり」、「やれ打つな蠅が手を摺り足をする」といった句で知られるように、善良な目を持ち、多少こっけいな句を作る俳諧師のイメージがありました。しかしこの小説を読んでみて、一茶の全く違ったイメージにびっくり。世俗にまみれ、生活に苦労し、諸国を廻っては生活の糧を得る。貧乏は生涯ついて廻る。それでも俳句を捨てず、独自の境地を開いていく。その俳句は、結局は俳諧には受け入れられず、孤高の人となっていきます。とうとう晩年は遺産分配でトラブルを起こしてまでも、故郷に帰らざるを得なくなってしまいます。老境に入ってから娶った妻と子どもに死に別れ、これでもかこれでもかと不幸が襲ってきます。しかしそのような境遇にあっても、けっして俳句への情熱は忘れません。自分や自分の境涯を皮肉った句の中にも、どこかユーモアが漂うのはなぜでしょう。初めて一茶という人に触れ、その生き様に感銘しました。