文学史知識の点が線から面へ
★★★★☆
長塚節について
「“節”は“たかし”と読み、正岡子規の弟子で「馬酔木」「アララギ」で活躍した歌人」
ぐらい知っていれば文学史上の知識としては十分であるとともに、
作品としての短歌・写生文・小説についてはまったく知らないとうのが標準的か。
30年か40年前頃の中高生への読書推薦図書リストに「土」があり、
読んだか読まされたかの記憶ばかりが残っている。
その「土」も発表されてからちょうど百年。
「藤沢周平+長塚節」の興味から読んでみた。
記憶の点であった「土」の長塚節が、節の生涯として線になり、
伊藤左千夫・島木赤彦・斉藤茂吉と交友関係の広がりとして面となり、
長塚節という“人”が生きて暮らしてきたのだということが強く実感となった。
百年前の暮らし、結核という死病に罹患すること、
今では想像のつかないことが、藤沢周平氏の落ち着いた語り口で語られる。
読み通すにはそれなりの覚悟とエネルギーが必要だが、それに十分値する好著と言い切れる。
読む人よ 心してかかれ!
★★★★★
はっきり言って「非常に疲れた」。
藤沢周平さんの書いた本の中で、読み終わるまで、ここまで時間を労し、疲れた本はない。
内容も、武家物や市井ものではなく、近代に舞台を据えての初めて小説、近代短歌史の1短歌歌人「長塚節」の半生である。この間、この本を読むのが非常に辛く、1冊読む間に、別の藤沢周平作品を2冊も読んでしまったほどだ。如何にこの本を読破するのが辛いかお解かりいただけるであろう。この本を読もうとする諸氏よ、心してかかれ。
まず、「長塚 節」を私は知らなかった(恥ずかしながら)。この本のもう一人の主人公:伊藤左千夫はさすがに知っているが。長塚節は、短歌革新ののろしを挙げた根岸派:正岡子規の弟子。伊藤左千夫と並んでもっとも注目される存在で、正岡子規に「養子にしたい」とまで言わせたほど、理屈抜きにその才能を誉め、愛情を傾けられた存在であった。との人。
さて、何が辛かったか?
この本は事実関係のみで展開していく。ここには藤沢周平の創作は無い。だから面白くない、ページが前へ進まないのである。通常藤沢本は、次はどうなる? 次は?と 前へ前へとかき立てられる。それが無いのだ。あるのは、明治・大正の短歌界の事実詳細である。
しかし、ここに出てくるメンバーが豪華絢爛、昔 教科書で習った面々が次々と出てくる。
正岡子規、伊藤左千夫、斎藤茂吉、高浜虚子、森鴎外、夏目漱石、石川啄木、森鴎外、谷崎潤一郎、高村光太郎、志賀直哉、武者小路実篤、若山牧水など等。
これには驚きだ。
また、まったく知らない事実がいくつも出てくる。
私は、夏目漱石が朝日新聞の社員であったことを知らなかった(夏目漱石は英国留学から戻って帝国大の講師でありながら高浜虚子に薦められて「ホトトギス」に「吾輩は猫である」を連載し文筆生活に踏み込んだ。その後坊ちゃん、野分け等を次々に発表し名声を高めていった。京大、東京帝大の内示を断って朝日新聞入社。文芸欄の主任であった)。
この立場から、歌人であった長塚節に朝日新聞の連載をさせたのだそうだ。また、伊藤左千夫=小説家=「野菊の墓」を連想するが、もともと伊藤左千夫は歌人で、節とはまったく異なる作法で相反していたという事実もここで知った。また、伊藤左千夫の暮らしぶり、奇怪で横柄な性格や「野菊の墓」の裏話など、これを読むと伊藤左千夫の今までのイメージがガラガラと崩れる。しかしながら、子規亡き後、総ページ32ページの「馬酔木」を伊藤左千夫、長塚節他7人で創刊し、その中心人物でもあり、親分肌でもあり、伊藤の自宅でこれが作られていったこと、また本業が牛乳やであったという事実も初めて知った。その後、伊藤左千夫に弟子入りした天才歌人:斎藤茂吉についても細かく記されている。
しかし、何といっても長塚節。37歳、生涯独身、結核で亡くなるも、その間その病人の身体で歌を作る為に日本中旅に明け暮れる。今と違ってほとんどが徒歩。それも治療、手術を旅先で繰り返しながら。この時代の憧れの歌人でみんなに慕われた人物(伊藤左千夫とは違う)。
そして、この人物のその事実をこと細かに調べ上げここまでの本にする藤沢周平は、これまたすごい。「疲れた」なんて感想は、はなはだ失礼極まりない。
ほんとに「よくここまで調べ、纏めました!」と、その苦労と大変さはこれを読むと誰もが解かる。
それはそれはすごい本です。
■お薦め度:★★★★★(★☆☆☆☆)
*大学の国文系の人、短歌を勉強する人にはもってこい。半端な藤沢ファン様、要注意です。
くれぐれも心して読んでください。
長塚節を知る良書
★★★★☆
長塚節を知りたい方は、この本は絶対に外せません。膨大な資料を基に書かれた、伝記的小説。
明治の歌人として、一級の評価受ける長塚節。しかしながら、啄木や白秋、与謝野夫妻や茂吉と比較して、知名度はかなり低い。そういった意味でも、歌人としての節をしる一級の資料的価値も併せ持つ小説だ。
徐々に歌人としての実力をあげていく節の姿が読者に分かりやすく表現されている。
おすすめです。
長塚 節を深めるために
★★★★☆
とにかく膨大な資料にあたり、長塚 節像を緻密に追及した小説。
各地で友人へ宛てて書いた手紙や短歌を小説の中へうまく利用し、その内面を描いているところが印象的。また、アララギの同人、伊藤左千夫を描いた人物像も興味深く、案外こんな人だったかもしれないと妙に納得させられてしまうところがありました。短歌結社の運営を軸に様々な人間模様を描いている点はさすがです。
蛇足ですが、節が死期間近のときに九州を彷徨する姿が忘れられず、たまたま命日も近かったので、読後は彼のお墓参りに行ってしまいました。
ただ、資料に忠実なあまり、小説としてのおもしろさにはやや欠けてしまった感が拭えず、特に師である子規に対する敬愛の描写の薄いのが、私としては残念でした。
伝記文学の高峰
★★★★★
藤沢周平(小菅留治先生)は、すでに山形師範の学生の頃に、歌人長塚節の歌集にふれたと言う。作品は「小説ー長塚節」であるが、実に広範な資料を踏査して渾身を傾け書かれた、伝記文学の最高峰の一冊であろう。解説を書かれた方も、この本は読むに骨の折れる本であるが、骨を折って、「読むに値する書」だと書いている。歌人長塚節は、その才能を惜しまれつつ若くして逝った、子規の最愛の弟子であり、アララギの大黒柱であったが、藤沢先生と同じ様に結核に罹り、その治療を兼ねて、日本の各地を旅に明け暮れた。茨城県石下町国生の生家と石下城には、コモをかぶった、長塚節の放浪姿のブロンズが建っています。
彼は、鋭敏で在りながら、豊かで深さを湛えた多くの短歌を作りました、短歌好きで、長塚節の歌を愛さない人は居ないでしょう。その上、小説も書ける人であったと思います。37歳で亡くなられなければ、幾多の小説も残したで有ろうし、名歌は膨大な量になったでしょう。
この藤沢作品は、実に、「短歌鑑賞入門」の役割をも果たしていると、思います。藤沢周平の故郷、山形は、斉藤茂吉や無着成恭の故郷でもあり、然も彼らは、どこかでつながりを持っている。高山樗牛、丸谷才一、等を生んだ山形の文学的伝統を、藤沢周平も確かに持つていた事の証明が、この「白き甕」なのでしょうか?この小説は、死病と闘い、死の影と触れ合った、小菅先生の体験も感じられるものがあります。長いですが、その一行一行が、丹念な調査を踏んでいて、この様な作品を書くには、相当の精力を消耗されたはずです。
私達は、何となく気軽に読んで仕舞うが、労力を惜しまぬ丹念な下調べがあり、頭の下がる思いです。