初心者向け?
★★★☆☆
タイトルの「零戦と戦艦大和」については第二部で語られていて、第一部のでのテーマは「帝国海軍 vs 米国海軍」である。
タイトルからしても、座談会のメンバー構成からしても、海軍中心の話になることはわかっていたが、やはり、戦争時の日米比較なら、陸軍についてももっと言及すべきだろう。
また、第一部、第二部とも座談会出席者は6名で、話が散漫になりがちである。もう少し参加人数は絞った方がいいと思う。
勉強にはなる
★★★★★
太平洋戦争に興味があって、専門家でないのなら、
非常に面白く読めると思います。
オタクによるオタクのための太平洋戦争
★★☆☆☆
それぞれがオタク的知識を披露する書籍である。 この本や他の著者等の著作を読んでも太平洋戦争敗戦はよくわからないが、この本も同様である。 例えば真珠湾攻撃以前の戦艦は、現在の核ミサイルと同様の意味を持っている兵器であるが、著者等は一切この点に関して無頓着である。 即ち、戦艦大和の軍事的意味だけ取り出して論じているだけで、外交的意味合いが出てこないのである。 零戦の項で、生産量を増大させるために中島に作らせるのだが、ここで著者等は、話の方向性を誤った方向へ導くのである。 中島が零戦のパイプの位置の取り替えをあたかも全ての問題の様な議論を進めるのだが、例えパイプの位置を替えなくても、三菱製と中島製の零戦は全く別物である。何故ならば、戦前の日本にはJIS規格の様なものはなく、それぞれのメーカーによってネジなどの規格は別であった。
当然中島と三菱の規格は違うので、著者等の指摘が行われていなくても中島製と三菱製の零戦は別物である。
そもそも工業製品の規格化は、日本では戦後行われたが、欧米では第一次世界大戦中に、総力戦実施による大量生産実行のため規格化を行ったが、日本は、第一次世界大戦に参加していないため、総力戦体制を一切準備することなく、掛け声だけの総力戦に入るのだが、この著者等の誤った認識は、零戦のオタク的知識の披露し合うことにしかなっていない。
この著者等の著作を読んでも戦前の理解には進まないので、変わりに小室直樹氏の太平洋戦争関係の著作を読んだ方が遥かに理解は進む事になるであろう。
人数が多すぎる
★★★★☆
この本は文芸春秋の対談を載せたものだが、今回は1冊の本としてレビューしたい。
半藤一利は数多くの太平洋戦争の対談をまとめてきた人だが、
今回の対談の目玉は、何と言っても、兵頭二十八と江畑謙介の参加だ。
ところが参加人数が多すぎるため、兵頭氏と江畑氏の発言は思ったよりも少なかった。
2人を参加させるなら、対談の内容は、兵頭氏と江畑氏の軍事学的見識を、一般人に
近い感覚を持つ半藤氏が聞き役になってまとめる、というもので良かったと思う。
2人を参加させた時点で、この本はマニアックな軍事本にまとめるべきで(マニアックな
内容だから売れないとは限らない)、太平洋戦争の初歩的な説明で紙数を使うべきではない。
方向性が定まらず、その為に人数を多くしてしまったように見える。
だが今回、兵頭氏と江畑氏が半藤氏と接触を持っただけでも価値があると思う。
次回作は、半藤氏と何度も対談している、秦郁彦、戸高一成、福田和也は外して、
兵頭氏と江畑氏を同じ対談の場で対決させて欲しい(今回、別々だったのは残念)。
ずっと続いている半藤一利さんたちの対談シリーズが今回も面白かったです
★★★★★
最近、新たに認識したことのひとつは、1930年代において大艦巨砲主義は古いといわれつつも、日本だけでなく各国も戦艦をつくりまくっていたということですが、1922年のワシントン条約で八・八艦隊が不可能になった後、日本の造船業界は大和建造前に約15年間もブランクがあったというんですね。あと、石川信吾というのは相当なワルですね。石川信吾はアメリカはパナマ運河を通行できないような戦艦は2隻つくれないから、大和一隻を日本がつくったら勝ちになるというデマゴギーで建造させたというんですが、よくこんな主張が通ったな、と。もっとも、造船業界の巨大利権もからでのことなんでしょうが。その関係で、隅田川にかかっている清洲橋、白髭橋、かちどき橋、両国橋、蔵前橋などは造船業の不況対策だったというのも知りませんでした。米軍は時代遅れになったとはいえ、戦艦を上陸前の艦砲射撃には使えるという形で有効利用の道を探っていったのに対し、日本はただひたすらに隠したというか、エアコン完備の大和ホテルとしての使い途しか考えなかった、というのもなんなのかな、と。
零戦がダントツに優れていたのはその航続距離と低速での運動性能だといいますが、これが海軍の無謀な戦略を誘発したというのも面白い指摘だなと思いまし、「どんなジャンルであれ、世界一のものをつくりあげたという記憶を持っている国はそう多くはありません。やはり大和、零戦は日本国民が誇るべき歴史的な記憶だと思います」という結びは納得できました。