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「三十歳までなんか生きるな」と思っていた

価格: ¥1,470
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 草思社
Amazon.co.jpで確認
懐かしいセリフ ★★★★★
「三十歳までなんか生きるな」と、思っていました。
確かに。太く、短くと。

しかし、まぁ、いつまでも、うねうねだらだらと進んでいく文体。
あっちに行ったり、こっちに来たり。
うねうねと試行錯誤を繰り返しながら、ゆっくりと生み出されていく著者独自の思考。
僕は好きなので、いつまでも付き合ってますが、辛い人もたくさんいると思います。

保坂和志の本は小説も、批評もほとんど同内容と言っても過言ではないかもしれません。
読み手はただひたすら著者の思考が生まれてゆく、ゆっくりとしたダイナミズムを
その一文一文に感じ、運動に身を委ね、巻き込まれてゆく忍耐力を要求されます。

保坂和志はさらに自分にも読者にも厳しい。
彼は、読み手自身が彼と同じように、固有の思考を生み出してゆくことを要求します。

まるで思考の助産師。
言論公表の社会性をなめている ★☆☆☆☆
保坂和志は現代ニッポンの作家では随分と力のある作家であると思うし、その小説論は小説というものの本質を深く捉えた貴重なものだと信じる。
しかし、このエッセイに毛の生えたようなユルーい漫談のごとき作文は、当人の意に反して極めて政治的な代物だ。
「小説家は役に立たない存在」であるとか、「小説家の考えることなんかどうせトンチンカンなことに決まっているのだから、右にも左にも、タカ派にもハト派にも加担したらいけないのだ」とか、思い切り政治的な文章を垂れ流している。その挙句に「プー太郎が好きだ」と来た。
よろしい、あなたがプー太郎が好きであろうがどうであろうが勝手にせよ。
しかし、小説とはいかなる小説であれ「社会的なもの」であり、それにも増してこんな風に極めてお手軽にネットか何かで書き散らかしたエッセイは政治的なのだ。
保坂は彼自身の秀逸な小説観を打ち出すところまでは、優れて意識的な書き手であった。しかし、この書き飛ばした作文では驚くべき鈍感さで社会や政治を語ってしまっている。
教条的に彼自身の小説観を実践するのであれば、彼はこんな作文を世に問うべきではない。
「正しさや一般論は自分を脅かさない」という彼の文句の通り、彼の文章は彼を脅かさないし、それ以上に小説が不可避的に社会的・政治的なものであることを彼自身が見くびっていることが露わになる。それは実のところ、彼自身の小説家としての生命を脅かすことにもなりかねないのではないか。
とにかく元気が湧いてくる。 ★★★★★
一見そうは見えないのだが、この本を読んでいるとじっくりじわじわ、そのうち、グワッ!と元気が湧いてくる。読売新聞の書評で川上弘美も同じことを書いていたが、僕も20年以上のつきあいの友達(年上)が死に、そのあとしばらく読める本がなかったのだが、この本はゆっくり、ずうっっっと読めた。きっと嘘を書いていないんだと思う。著者の保坂和志の言葉を借りれば「言葉の内部だけで処理せず、世界と繋がっている」ということだと思う。
この本のレビューでひどく論理的に批判している人がいるが、この本をちゃんと読むと、論理的思考というのが根本的に薄っぺらいということがわかると思う。
おもしろいが 少しバラバラ ★★★☆☆
おもしろい内容が羅列されている。
でも、なんかバラバラしている。
しかも、そこに挿入されている事例がやや唐突。やっぱり、短いエッセイを並べた本の限界か。
最初と、最後、ここがおもしろい。真ん中あたりはかなり荒っぽい感じがした。
文学はサマライズすることなんか出来ないし、だからイイ ★★★★★
 「まえがき」に次のような言葉がある。

 文章の命というのは、読み終わったあとで「これこれこういうことが書いてあった」とすっぱり言えることではなくて、その文章に触発されて読者がどれだけいろいろなことを考えたか?だと私は思う。そこで生まれる考えは文章に直接関係なくても全然かまわない。

 保坂和志の書くものは(あるいは文学は)サマライズすることなんか出来ないし、だからイイ。今回のエッセイ集もとても一括りに出来ない豊かさがある。さらに著者の言葉を借りれば、「数値化を含む共通了解の誘惑に抗して“主観”を“主観”として保持しつづけ、それを一人でも多くの人が共有することのできる言葉や思考として練り上げること。小説・音楽・絵画・映画......etc.の芸術はそのためにある」ってことだろう。データ化、可視化出来ることなんて高が知れている。
  共感し、感心するのは、既成概念を決して鵜呑みにせず、必ず咀嚼して自分の思考として紡ぎだしていく著者の姿勢だ。しかもその思考をフィックスせず常に考え続ける。“神の視点”っていうある種文学の特権をも疑ってかかる。ポストモダン的な思考停止、甘えに対する厳しい態度は身につまされる。
  小説家に政治に対するコメントを求めたり、プー太郎まで労働に駆り出そうとする最近の社会の余裕のなさについても同感。無駄なものがいかに重要かってことで、それってつまり文学だよね。だから「文学に接していない人とつき合ってみると何度目かに(場合によっては一回目に)薄っぺらさに気づく。もちろんその薄っぺらさに本人は気づいていない」なんて鋭い言葉には、共感もし、自戒もする。
  ただ、この本を読んで著者の思考を鵜呑みにしちゃっちゃ、著者の思考を否定することになる。「正しさ」を疑った思考が「正しさ」に回収されてしまうなんてよくあることでさ。自ら思考することこそが大事なんだよね。