しかし、色々法律関係のテレビ番組が放映されている現在おいても、テレビ番組では法律が何故必要になっていることについての哲学的な問いは為されていないのが現状ですから、法律が何故必要とされているのかについて、現在でも、この本を読む価値が減じたわけではありません。
日本人が抱く「法」に対するイメージと西欧人が抱くright,droit,Recht,deritto「法=権利!」との違いが生じていく過程とか、近代民法が念頭としていた「人間像」の誕生とその修正の過程、そして近代民法が念頭においていた家族像とその変容過程が、この新書では詳しく描かれています。
「抽象的な『計算高い人間』」から「具体的な『愚かさも含んだ人間』」へ、「青年男性中心の『家父長を中心とした家族』」から「男女間及び親子間の平等を体現する『多様な家族』」へ、推移していく現在の情況についても、電子技術やバイオテクノロジーの発展に対して法は如何に対処すべきなのかについても、民法学者の視点から、著者は一定の指針を与えています。
急速な都市化、テクノロジーの高度化によって、旧来の「共同体」の機能が不全に陥り、新たなる「市民社会」を形成することが要求される中で、この本をヒントに上のような問題に皆さんなりに解答を用意されることが要求されることでしょう。
また、法律が規制する一方なのではなく、ルールによって保護を行っているというのももっともである。また成立当初想定していたのリベラル的な「強く賢い人間」から「弱く愚かな人間」へと対象が変化していった流れも示唆的である。
しかしいずれにせよ、こうした法なり近代国家が成立するのは、全体のことを考える個人が必要であり、日本においてはこうした個人のあり方が相当に弱いのは特徴である。それを解体したのが戦後民主主義か?