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日本史の誕生―千三百年前の外圧が日本を作った (ちくま文庫)

価格: ¥840
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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単行本もまだ流通している ★★★★☆
単行本もまだ流通している。「文庫版あとがき」によれば、文章自体は、一部で使っていた「ですます」をすべて「である」に統一した程度らしい。で、単行本掲載の写真の多くはカット、大林太良との対談「邪馬台国と倭国」もカット。というわけで、金銭に余裕がある人は単行本を買ってみてもいいかもしれない。

著者の本を最初に読むのであれば、『歴史とはなにか』(文春新書)あたりだろう。
『日本史の誕生』や『世界史の誕生』(いずれもちくま文庫)は、食指の動くタイトルではあるが、実は雑誌にバラバラに発表された文章を組み立て直したようなものなので、内容の重複が多い。
歴史書ではなくスピーチ本 ★★☆☆☆
基本的にこの著作が描くような、日本という土地の上で多文化・多民族がビジネスベースでまじわりつつ、西日本のあちこちで国が起こっていったイメージには賛同できる。ただ、他の研究者や著者の考え方を妄想だというわりには、当人の表現が妄想の域を出るための資料や論拠が述べられていないため、どっちもどっちの印象がぬぐえない。
日本書紀がなさけない書物であるわりには、そこから論を展開している部分も多いので、一貫性が(本人の中ではあるのであろうが十分に述べられていないため)ないように見える書き方で終わってしまっている。

面白い観点がたくさんあるが、過激な描き方を支える情報が足りないため、この本だけを読んだ人間には理解されない点が多いだろう。この著者をまず理解しないと、この著作の裏にあるであろう彼の真意が読めないからだ。歴史の描き方としては単なる(自己満足の)スピーチにもみえる。
過激な内容の日本古代史論 ★★★★★
個人的には日本古代史にはあまり興味がなかったのだが、たまたま人に薦められて読んだ本書は、非常に面白く、かつ刺激的なものだった。そして大きなショックを受けた。

「日本」という国号が出来る以前は、日本などというものは存在しないのだから、「日本」という国号が出来る以前は、日本史ではないという。だから日本の建国以前は、日本史でも日本古代史でもなく、広い意味での中国史だという。こんな過激な主張は聞いたことがない。

どうして日本の古代が広い意味での中国史になるのか、それに興味があれば本書を手に取って読んでもらうしかない。ここでは簡単にその理由を書けない。

こうした問題以外にも、邪馬台国論争について、非常に説得力のある論理を展開している。実に論理的であり、論じていることも分かりやすい。無理のない理屈だと思う。本書の邪馬台国論について、評論家の副島隆彦氏は、「天皇と華僑/聖徳太子は蘇我入鹿だった」という文章の中で、「岡田教授の大きな業績のひとつは、邪馬台国論争に、おそらくほぼ決着をつけたころである」と書いていた。

そのくらい説得力のある議論をしている。個人的には、この本によって、「日本」という国の成り立ちを考える上で、非常に有益であった。またこの国の成り立ちがよりいっそう理解できる思いだった。

本書に他にこれだけ内容の豊かな古代史論も、おそらく少ないだろう。従来の日本史や日本古代史に対する認識や世界観と多いに異なっており、この本を読む者は多いにショックを受けるに違いない。日本やアジアに対して考えさせられるところ大であった。文句なく推薦本にする。

歴史の専門家以外にも広くおすすめしたい。
主に中国の正史を元にした日本古代史論 ★★★★☆
私は近代史を徹底的に、日本の通史を大まかに学んでいるため、日本古代史の真実を追究しようとする気はない。近代史ですら真実を掴むのが困難であるのに、史料の少ない古代史の真実なんてわかるはずがないと思っている。
著者は中国の正史を主にして、日本と関連する古代の東アジア史を著し、「魏志倭人伝」「日本書紀」の政治性を指摘し、その記述の信憑性を批判しながら、日本古代史論を組み立てる。
個人的に、天皇万世一系を建前としつつも、それが真実かどうかはどうでもいいと思っている。1500年以上前の話である。イエスやマホメットと同じようなもので、日本神話で結構だと思っている。
著者の推論が正しいかどうかはともかく(時に強引な推論も)、様々な史料からの引用があるため、個人的に知識の疎い古代史(日中韓)を学ぶ上で大変参考になった。
また、本著の大半は著者が以前に発表した論文(70〜90年代)の中から、本著のテーマに沿うものを集めたものであるため、何度か重複する箇所もあるが、私のような初心者にとっては重要な点を復習するように読むことができて良かった。
ワンパターンだけど ★★★☆☆
「岡田史観」としてみれば、まあ、またいつもの、です。
とはいえ、2点ほど。
・飽きもせず、「古事記」偽作説の展開。
 日本書紀だけみれば古事記は無視しても論は展開できる、というのは
 同意だが、すべて平安時代の偽作、てのはどうかな、です。
 平安時代にある程度改ざん(写し間違い:-P)があったのはまちがいなさそうですが
・石上神宮七支刀で、百済王子「貴須」が、とあったが宮崎市定書「謎の七支刀」
 にあるように東洋において外交文書の中でで本名を入れることはあり得ない*
 は重要な指摘。ドイツ哲学が本職てのなら笑って見過ごせるが、東洋史が本職を
 自称している筆者がそれを無視しているのは「大丈夫?」という気がする。

 *例の聖徳太子が出したとされる、「日出ずるところの天子、日没するところの天子」
 も肩書きだけで本名は書かれていない。