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終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル (ちくま文庫)

価格: ¥672
カテゴリ: 文庫
ブランド: 筑摩書房
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日本的資本主義の生き方入門書だが…危険書かも ★★★★☆
社会科学者である人間が社会の事実にきちんと基づいて考察した本であり個人的な意見というよりも社会理論的に可能な行為と不可能な行為を考察している。ある意味オウム信者を肯定し善導している。日本的ネオリベラリズム(欲望の自己選択=小さな政府)社会、つまり、欲望の選択を行わず(=天皇の正統性が消失し親鸞の末法思想に起源を持つ戒律の拒否という独特の日本文化行為)本当に文字通り私利私欲を追求した人間が世の中に何の後ろめたさも無く溢れかえっているという社会現実に絶望した「まとも」な人間=オウム信者の末路の過程を批判している。プロテスタントの倫理を否定し消費に価値をおいた、史上初めての資本主義が実現した社会へと入るための入門書。目標のために禁欲して努力するのではなく、幸福・楽しむための道具として自分なり仲間なりの目標を使うということ。

リベラリストであるから快楽主義の超肯定は良いが、銀行と医療と職業選択と教育の平等な保障が行われていない、金と成績で人間の価値が決まる価値観の豊かでない社会においては言葉足らずのためにS君が自殺してしまったように危険書になるかもしれない。「自由な新世紀」・「サイファ覚醒せよ」や見田宗介「現代社会の理論」などを社会の入門書として補強したほうが良いと思う。

基本システムを完成させるという目標が消え、モノ・コト次元両方の「資源」が消失しパターンが全てそろってしまった新しいのがほぼ期待できない既知社会においていかに「消費」を通して「未来」に期待せず生きるか?
食料も快適さも欲望も充足するシステムにおける「消費」を楽しむ「家畜」のような生き方は本当に幸福か?
宮台? あ〜、いたなぁ〜、そんなやつ。 ★☆☆☆☆
ブラセラ女子高生を礼賛してきた宮台。
なのに現在、自分は箱入りお嬢様と結婚!!
しかも、メディアの情報を真に受けてはいけないとか言ってる。

その通りだと私は思う。

宮台なんか真に受けちゃいけない。


子供の頃から塾に通って、勉強して、いい大学に入って、いい企業に入って、そのあとに何かあるか? 何か劇的な変化はあるか? そんなものはないって言ってるけど、
「ない」ってなぜ言い切れるの?
モテないやつも努力したらモテるようになるぞ?
後、「終りなき日常」(なんだよ、終りなき日常って……ダサ!)を「拒否」したやつらが、
オウムに入ったのだから、そんなやつらに命令形で終りなき日常を生きろ!!って言っても意味ないんじゃ?


後、ダメな学校言ってダメな企業に入った人から見れば、いい企業に入れた人はかなり羨ましいだろうし、勉強しないよりはした方が絶対いいと思う。


宮台読んで感心してるやつとオウムに入るやつは、結局は知的レベルが一緒だと思う。


こんなやつに感心する馬鹿が多いから、思想、哲学の本読んでるやつはキモいやつらって世間から見られちゃうんだよ。

わかったかい?
肝心なのは受け止めること ★★★☆☆
果たして、宮台真司がいうほど現代は生きにくい時代なのか。

確かにもう成長幻想はないし、がんばれば目の前にすばらしい世界が広がるわけでもない。

だからといって、僕は宮台真司ほど絶望していない。

肝心なのは受け止めることなのではないだろうか。

そうして自分の足場を固め、踏ん張って生きていくべきなのではないだろうか。

「生きにくい」とか「閉塞感」とか、言葉が独り歩きしている感がないわけでもない。

それに流されてしまうと、上っ面だけしか見えてこないのではないだろうか。
茶髪は「脱力」 ★★★★★
友達に勧められて初めて読んだ宮台作品。
輝かしい未来のない「終わりなき日常」に
適応するため、まったり生きるといいのでは
と言っていた作品。
まったり生きればオウムに救済を求めることもなくなるとも言っていた。
茶髪を「脱力」として扱っていたことには
はっとさせられた。
「薄汚れたどぶ色でも、あるひとときは眩いばかりの純白を放つ」という部分は
ミスチルが言っている「この醜くも美しい世界」と似ている気がして興味深かった。
自分の中にあったモヤモヤしたものが
整理されてスッキリした。
複雑な社会を結構体系的に描けちゃう宮台っていう
人は頭いいなあと思いました。
素晴らしくきつい本 ★★★★★
 一部の人にとってはめちゃめちゃにきつい本でしょうね。

 ブラセラ女子高生を礼賛してきた宮台。たとえば、子供の頃から塾に通って、勉強して、いい大学に入って、いい企業に入って、そのあとに何かあるか? 何か劇的な変化はあるか? そんなものはない、という。終わりなき日常。
 劇的な変化なんてないからこそ、冴えないやつは一生冴えない、モテないやつは一生モテない、そして、今の社会はそれを救う受け皿なんてもっていない。だから、最初からそういうのをあきらめきって、まったり生きようと。そうじゃないと、必ず犠牲者が出るよ、社会のコミニュケーションスキルレベルが底辺の連中は必ずイタイ目見るよ、と言っております。
 救いがあるんだかないんだか。たぶんないんでしょうね。